『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1307] 2014年12月31日(水) 22:35
いやはや、お恥ずかしいかぎりです。
年々「記録」することが苦手になりつつありますが、それに加えて、日記やらなにやらに書いてしまうとライヴでおしゃべりすることがそのリピートになってしまうが自分でもつまらないので、より書かなくなってしまいました。
おしゃべりと記録は違うことはわかっていますが、どうもうまくいきません。
と、こんな言い訳めいたことを書きたかったわけではありません。
今年も、といいますか、いつも変わらず、わたしと関わり力を与えてくださるまわりのみなさま、ほんとうにありがとうございました。
ライヴに来てくれるひと、CDを買ってくれるひと、遠くのどこかでわたしの音楽を聴いてくれるひと、一緒にお仕事してくれるひと、一緒に演奏してくれるひと、立ち止まっておしゃべりしてくれるひと、電話くれるひと、ライヴに誘ってくれるひと、裏方として支えてくれるひと、通りすがりに手をふってくれるひと、目があってふと笑ってくれるひと、落とした鍵をひろってくれるひと、わたしの前を楽しそうに話しながら横切るひと、わたしの視線に気がついて尻尾をふる犬、あそびにくる猫、遠くの地で空を見上げるひと、そのほか、かぞえきれない点と線で、結ばれたり結ばれてないままだったりのいろいろなみなさん、どうもありがとう。
来年は今年よりもたくさんのまだ結ばれていない点にもたどり着けるように、そして今年よりももっとたくさんの知らない点がそれぞれの場所で輝くのを眺めることができるように、時やいろんな境界にとらわれず、歩きたいです。
加藤千晶とガッタントンリズム、来年もどうぞよろしくお願いします。
最後になりましたが、みなさまにまたよいあしたが来ますように。