『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1303] 2013年08月14日(水) 00:20
この日は誕生日で、でも誕生日ライヴなんていうと、来てくれるひとが気を遣うんではなかろうかと思いできるだけ静かにしていたのですが、たくさんの方がライヴに来てくださり、それ以外にもほんとにみなみなさまから心のこもったお祝いのお言葉やメッセージ、プレゼントなどをいただだき、それはそれはうれしい誕生日になりました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。
43歳、という、自分がそんな歳になるわけない、と思っていたような歳になりましたが、改めて43年前に私をこの世に登場させてくれた両親に、
これまでと今とこれからもわたしと出会ったりすれちがったりしながらどこかでわたしとつながってくれているすべてのひとに、
まわりの愛おしいすべてのものごとに、心から感謝します。
そしていつもと変わらず、こうして目を覚まし、ごはんを食べ、靴を履き、おしゃべりし、町に出て、ライヴができるということが、じつはとても有り難いことなんだなーとつくづく思うのです。
しあわせのかたちはいろいろあると思うけれど、ありがとうって思えることはとてもしあわせなことで、わたしはありがとうって思えば思うほど、しあわせにしてもらっているのだと思います。
ライヴだって、なんだって、自分が楽しくなりたいから、みなさんの力をお借りしているのです。
だから、そのありがとうを、わたしも誰かに使いたい。
たいしたことはなんにもできないんだけど、うれしい気持ちはためておくより使おう。
わたしのだいすきなひとたち、しらないひとたちや、仮にもいまはあのやろう、と思うようなだいきらいなひとたち(がいたとしてもね、仮に)だって、やっぱりしあわせでいてほしい。
そうだといいなあ、と思います。
そのためにはやっぱりわたしが楽しくないとなあ!
と、結局、自分かい!という強欲さを改めて認識する、という堂々巡り。
そんなこんなしながら、またわたしの珍道中がはじまります。
みなさま、いままでありがとう。
そしてこれからもありがとう。
どうぞよろしくおねがいします。