『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1301] 2013年03月09日(土) 15:39
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[link:1305] 2014年05月16日(金) 13:58
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「歌の雰囲気」だけはなんとなく憶えていて、意外にセンチメンタルな曲で、ただかんぴょうの皮をむくっていう状況を歌ってるのではなく、サビのとこが、たぶんだけど「かんぴょうの皮をむく日もある〜」とかいうようなふうだったような気がぼんやりしているのですが、もう思い出せない。
Twitterでそうつぶやいたら、「いっそ今のそのもやもやごと歌にすれば」などとの意見ももらったのですが、それだと、やっぱりどうしても自分に都合のよいように(?)ある程度オチがあって歌として面白いように考えて作ってしまいそうで、いまひとつなのではないかな、と思うのです。
あの夢の中で盛り上がってた(わりにたぶんぜんぜんカスみたいな)曲のバカバカしさにはかなわない気がしますものね。
って、夢の中の歌も自分が作ったには変わりないんですけどね。
あ、しかも、夢って「見てる時間は一瞬なんだよ」って聞いたことがありますが、本当はどうなんでしょう。
だって、夢の中で作った歌を歌うだけでもう数秒は確実に経ってるけど。
実際には歌ってないのかな。
ということは、夢の中では一瞬で曲ができるのでしょうか。
夢の中では夢のようです。