『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1294] 2013年01月17日(木) 23:17
[link:1295] 2013年01月21日(月) 23:49
[link:1296] 2013年01月23日(水) 23:37
[link:1297] 2013年02月01日(金) 23:39
[link:1299] 2013年02月02日(土) 00:04
k-diary script by Office K.
※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。
雪の降った日にはちょうど家にこもって作業の日だったので、雪に埋まることも、滑って転ぶことも、電柱にぶつかることも、目的地へ辿り着けないこともなく、無事に過ごすことができたのですが、街に出ている人はさぞ大変でしたことでしょう。
裏の駐車場にこんもりとつもった雪を見て、思わず駆け出したくなる衝動に駆られました(でも駆け出せませんでした)。
雪が積もったのを見ると、どうもわたしはリッツとレーズンを思い出します。
お菓子のリッツとレーズンです。
うちの母が学生時代スキー部だったこともあり、わたしも小さい頃、親に連れられ、毎年のように長野や新潟のスキー場へ行っていました。
今ではもう無いか、またはもっと設備が近代化していることと思うのですが、その頃は、まだスキー旅館には、地下に「乾燥室」と呼ばれる「ただ大きなだるまストーブを囲んで洗濯ロープが張られている部屋」がありました。
新潟の赤倉温泉という温泉街でしたが、わりとどこの旅館にもそういう部屋があったと思います。
地下室なので、窓はなく、ただ大きなだるまストーブのまわりにスキーで濡れたウエアや手袋、靴下などを吊るしておくのですが、一歩入ると、頬っぺたがワッと赤らむようなオレンジ色の部屋で、その部屋が子供にはまるで秘密基地のようで、なんとも魅力的に映ったものでした。
大人も子供も、みな頬を赤らめながらストーブにあたって、なんかおやつを食べたりしゃべったり。
ちょうどキャンプで焚き火を囲んでいつまでもだらだらまったりしているような感じでした。
そこの管理人に「北村のおじさん」という人がいて、毎年同じ旅館に泊まっていたわたしは、手づくりの藁靴をもらって、とてもお気に入りでした。
そんな毎年のスキー旅行、なぜかいつもおやつはリッツだったのです。
普段家にいる時にリッツを食べたことはそれほど記憶にないのですが、スキーに行った写真のわたしは、なぜか毎年、リッツの箱をかかえて食べている。
子供ですし、旅館ですから、リッツにわざわざ何かを塗るとか、乗せるとか、そういう洒落たこともなく、ただ箱からバスバスとリッツを食べている。
リッツといえば、シンプルなクラッカーで、どちらかといえば都会派(?)な大人が好むようなロングセラー商品、という印象で、その頃バリバリに子供だったわたしがとくにリッ大好きだった、というような記憶もなく、不思議な気持ちがします。
それともうひとつ、旅館に着いて部屋に入ると、まず、母が窓をガラッと開け、すぐ下の屋根につもった雪の中にレーズンの袋を埋めるのです。
そして夜も更けた頃、カキンカキンに凍ったレーズンをとりだし、テレビを見ながらかじるのです。
それも、スキーに行ったときだけ。
このレーズンもまた、ドライフルーツという、一枚洒落た(?)大人の味。
はっきり言って、子供のわたしはレーズンが嫌いでした。
給食でレーズンパンが出ると丸残しして持って帰ったものです。
そのレーズンが。
なぜかスキーに行った時に旅館の屋根の雪に埋めて凍らせて食べると、おいしい。
人というのは、不思議なものです。
こうして考えると、嫌いなもの、苦手なもの、というのはきっとないのしょう。
ぜんぶ、きっと自分の柵、自分のブレーキなのだと思います。