『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1282] 2012年09月09日(日) 13:36
[link:1281] 2012年09月08日(土) 15:43
[link:1280] 2012年09月08日(土) 15:39
[link:1279] 2012年09月08日(土) 15:39
[link:1278] 2012年09月08日(土) 15:39
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関島さんは、ファーストアルバムの『ドロップ横丁』以来ずっとお世話になっていますから、かれこれ15年ほど録音やライヴなどで演奏していただいていることになります。
私が東京に来たばかりで、鈴木博文さんのところへ曲を持っていったりしていた時、『これとりあえず録ってみようよ。あのねえ、ベースはテューバとかいいんじゃないかな。せきじまくん、っていういい人がいるんだよ。』と言って、博文さんが紹介してくださったのが関島さんでした。
私はベースをテューバで、というのにときめき、そして関島さんのあのなんともいえない柔らかく、しかしながら鋭い、エスプリ溢れる演奏に胸が踊り、以来、関島さんのテューバ、リコーダー、時々無理矢理お願いすると吹いてくれるフリューゲルホーンなどに魅了され続けています。
関島さんの演奏を見て、聴いて、いつも思うのは、やっぱりあのタイム感が誰にも出せない独特な世界だということと、音色のすてきさです。
ちゃんと背景はありながら、どこの国かわからない感じ。
アメリカでもありヨーロッパでもありニッポンであり、しかしどこでもない。それでいて、これは明らかに「この、小さなやかましい町の、狭い部屋の小さな電灯の下でささやかだけれど楽しい一瞬」の演奏なのです、というすばらしき無国籍な感じがします。
そして、どんな時でも、その音ひとつひとつがシャボン玉のように関島さんの吹くさきから「ポワッ ポワッ ポワッ ポワッ」と、まさに生まれている感じがするのです。
こんなふうに演奏できるってほんとーーーにスゴイです。
関島さんは、ほかのこともだいたいぜんぶすごくて、音楽に関係することもしないことも、これまで数々の勝負を挑んだのですが(命知らず)一度も、なにひとつ敵うものがありません(関島さんはあらゆるマスターなので敵うわけがないのですが)。
きっと関島さんの中にあるそういう無尽蔵な見聞や知識や経験や考えやイマジネーションが音符になってポワッポワッと生まれているのだと思います。