『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
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楽しくも悲しくもつらくもあるでしょうが、ひっくるめて、アコーディオンをこのうえなく楽しく弾く人だと思います。
いえ、弾く、というより、るっちゃん自身がアコーディオンなんじゃないか?と思うほどです。
アレンジしたフレーズを弾いてくれている、というより、曲の中にるっちゃんが飛び込んできらきらと泳いでいるような感じ。
そんなるっちゃんは、いつもたいていVICTORIAというつややかで輝いた音色のアコーディオンを弾いていて、今回ももちろんそれを弾いてもらったのですが、それとは別に、私が昔古道具屋さんで買った中国製のPARROTという名前のついたチープなアコーディオンも演奏してもらいました。
VICTORIAとはまったく違う、素朴で実直で不器用な感じの音。でも、なんとも捨てがたい味わいのある大衆食堂のような音のする、やけにでかいアコーディオンを、るっちゃんはそれはそれは楽しそうに弾いてくれました。
ピアノも異国の古いピアノとニッポンのお家のアップライト両方をとりまぜましたが、アコーディオンも方やイタリアの名器、一方は中国製の大衆器(?)。鳴る音で景色も違ってすごく面白かった。
でも、イタリアのでも中国のでも、るっちゃんはやっぱりアコーディオンそのものです。