忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2012年09月08日(土)『蟻と梨』日記 8 ◆関島さんの巻◆

そして、録音も進み、いよいよ関島さんにも登場していただくことになりました。

関島さんは、ファーストアルバムの『ドロップ横丁』以来ずっとお世話になっていますから、かれこれ15年ほど録音やライヴなどで演奏していただいていることになります。
私が東京に来たばかりで、鈴木博文さんのところへ曲を持っていったりしていた時、『これとりあえず録ってみようよ。あのねえ、ベースはテューバとかいいんじゃないかな。せきじまくん、っていういい人がいるんだよ。』と言って、博文さんが紹介してくださったのが関島さんでした。
私はベースをテューバで、というのにときめき、そして関島さんのあのなんともいえない柔らかく、しかしながら鋭い、エスプリ溢れる演奏に胸が踊り、以来、関島さんのテューバ、リコーダー、時々無理矢理お願いすると吹いてくれるフリューゲルホーンなどに魅了され続けています。
関島さんの演奏を見て、聴いて、いつも思うのは、やっぱりあのタイム感が誰にも出せない独特な世界だということと、音色のすてきさです。
ちゃんと背景はありながら、どこの国かわからない感じ。
アメリカでもありヨーロッパでもありニッポンであり、しかしどこでもない。それでいて、これは明らかに「この、小さなやかましい町の、狭い部屋の小さな電灯の下でささやかだけれど楽しい一瞬」の演奏なのです、というすばらしき無国籍な感じがします。
そして、どんな時でも、その音ひとつひとつがシャボン玉のように関島さんの吹くさきから「ポワッ ポワッ ポワッ ポワッ」と、まさに生まれている感じがするのです。
こんなふうに演奏できるってほんとーーーにスゴイです。
関島さんは、ほかのこともだいたいぜんぶすごくて、音楽に関係することもしないことも、これまで数々の勝負を挑んだのですが(命知らず)一度も、なにひとつ敵うものがありません(関島さんはあらゆるマスターなので敵うわけがないのですが)。
きっと関島さんの中にあるそういう無尽蔵な見聞や知識や経験や考えやイマジネーションが音符になってポワッポワッと生まれているのだと思います。

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[link:1282] 2012年09月09日(日) 13:36


2012年09月09日(日)『蟻と梨』日記 9 ◆るっちゃんの巻◆

るっちゃんは、本当にアコーディオンを楽しく弾く人です。
楽しくも悲しくもつらくもあるでしょうが、ひっくるめて、アコーディオンをこのうえなく楽しく弾く人だと思います。
いえ、弾く、というより、るっちゃん自身がアコーディオンなんじゃないか?と思うほどです。
アレンジしたフレーズを弾いてくれている、というより、曲の中にるっちゃんが飛び込んできらきらと泳いでいるような感じ。

そんなるっちゃんは、いつもたいていVICTORIAというつややかで輝いた音色のアコーディオンを弾いていて、今回ももちろんそれを弾いてもらったのですが、それとは別に、私が昔古道具屋さんで買った中国製のPARROTという名前のついたチープなアコーディオンも演奏してもらいました。
VICTORIAとはまったく違う、素朴で実直で不器用な感じの音。でも、なんとも捨てがたい味わいのある大衆食堂のような音のする、やけにでかいアコーディオンを、るっちゃんはそれはそれは楽しそうに弾いてくれました。

ピアノも異国の古いピアノとニッポンのお家のアップライト両方をとりまぜましたが、アコーディオンも方やイタリアの名器、一方は中国製の大衆器(?)。鳴る音で景色も違ってすごく面白かった。

でも、イタリアのでも中国のでも、るっちゃんはやっぱりアコーディオンそのものです。

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[link:1283] 2012年09月09日(日) 04:19


2012年09月09日(日)『蟻と梨』日記 10 ◆ブラウンノーズ巻◆

はっきりいう。何度でもいう。このひとたちは天才だ。
例によって、「天才」という言葉を使うのはまったく好きではありません。
なのだけれど、そういうふうにいう他にないのだから仕方がないのです。

「アメリカの太ったおじさんがバケツリレーをしている感じで」
「ジャングルの人」
「ここでいろんなおばけがわらわら出て来て一斉にいなくなる」
などの注文を、次から次へとなんの迷いもなく「あ、はい、わかりました」っていう。
私としては、言っておきながら、「わかったんかい!」と、心の中で笑いながら軽くツッコむのですが、直後、それがすぐに形になって出て来てしまうので、「あ、やっぱりわかったんだね!」と大笑いしてしまうのです。
その心持ちというか、想像を超えるなにかが次々と飛び出してくる快感は、ちょっと口では言い表せません。
音符の名前はすぐにわからなくても、私の出した音を、バンジョーでもマンドリンでもすぐ弾いたり歌ったりできてしまう。
そして、どんな素材だろうが、場所だろうが、人の描いた続きだろうがなんだろうが、そこにびゃーっと引く一筆で、もうブラウンノーズの絵にしてしまうのです。
なんとおそろしい二人組か。
私は、そんなおそろしい二人組と、またどうしても「一緒に」やりたかったのでした。

前回のおせっかいカレンダーでは2曲コーラスをお願いしたのだけれど、今回はどうしても、楽器ごとブラウンノーズ、というのもやりたくて、曲は作った時から決めていました。
決めていたけれど、あえてそれをこういうふうに、とは言わず、まずは好きに料理してもらいました。
その結果、期待を遥かに上回る、徹底的にブラウンノーズ節が炸裂したデモが送られてきたのです。
それはすでに素晴らしく変てこでめくるめくブラウンノーズの世界ができあがっていて、もうどこからも壊すことができない、という完成品であったため、録音当日はとにかく、それを「多重録音で作り込む世界」ではなくて、「なるべくライヴでやろうと思えばできるぐらいのスタイルで」再現することを考えました。
私がぼんやり描いていたアレンジの骨組みとブラウンノーズに前もってある程度考えてきてもらったデモの設計図をもとに、「あとはあんまりなんにも考えないでとりあえずやってみますか」という方式。
録音中にこんなに笑ったことってあっただろうか、というほど、録っている間じゅう笑いがこみ上げてきてしかたがありませんでした。
曲数は少ないのですが、その心地よいユルさと、狂気の共存する絶妙の世界が、その空気感ごと、切り取れたと思います。
エッセンス、とかそういうことでは全くない。もう、居るだけで世界の立ち位置が変わります。
見えていてもいなくても、確実にそこにあるっていうあの存在感はほんとにすごいです。

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[link:1284] 2012年09月09日(日) 13:38


2012年09月09日(日)『蟻と梨』日記 11 ◆かじやんの巻◆

かじやんこと、梶田真二くんは、コーヒー屋さんの店主です。
名古屋にある「コーヒーカジタ」という、それはすてきな、コーヒーとお菓子のお店をやっています。
コーヒーカジタはそのお店のすばらしさで、開店以来、大人気のお店ですが、かじやんは、そのお店を開く前はベーシストでした。
かれこれ20年以上も前からの友人で、その頃から名古屋でザボンドボンというインストバンドをいっしょにやっていたのです。
今回もコルネットで参加してくれている中野明美ちゃんもザボンドボンのメンバーです。
当時、かじやんのお家のお庭にあった物置小屋が練習場所であった我々ザボンドボンは、それはそれはまじめにユルい音楽を研究して作るバンドでしたが、一方でまじめに楽しみを追求する仲間でもあったので、いつも練習を終えると、河原へ行ってカレーを作ったり、でたらめのナンを焼いたり、ただ、外で鍋をしたり、練習帰りにそのまま郡上八幡へ徹夜の盆踊りに行ったりしては過ごしていました。
そういう、ナンを焼いたり、郡上で踊りを覚えたりしたことが曲になったりして、メトロトロトンレコードのオムニバスに入れていただいたことが、今の私につながっています。
前置きが長くなりました。
それからみなそれぞれに大人になり、かじやんはコーヒー道に進み、現在のコーヒーカジタがあるのですが、時々お店へ立ち寄ってカウンター越しに話していると、ある時ベースをまた買ったという。
では、せっかくだからそれを演奏しよう、と誘い、かじやんにとっては10年ぐらいのブランクを経て、いきなりレコーディング、ということになりました。
前々から、カジタの曲を作りたくはあったのです。
果たして、デモを渡してから3ヶ月、お店やイベントで日々忙しいかじやんは、東京まで録音にかけつけてくれました。
忙しい合間を縫って、ずいぶんと練習をしてくれたそうです。
今回のアルバムは、河瀬さんのベースはすべてコントラバスです。
でも、この「コーヒーカジタで」だけ、かじやんの登場により、かじやんが買ったエレキベースになりました。
なんだかロマンを追いかけているふうに見えてしまうかもしれませんし、変てこかもしれませんが、それもまた楽しいものです。

この曲ではちゃんとコーヒーカジタへの行き方も歌っていますから、ぜひ歌いながらコーヒーカジタを訪ねてみてほしいです。

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[link:1285] 2012年09月11日(火) 00:00


2012年09月10日(月)『蟻と梨』日記 12 

このへんですこしジャケットのお話を。
今回、このすてきなジャケットを描いてくださったのは豊永盛人さんです。
豊永さんは、沖縄で張子を作ったり、絵を描いたり、玩具を作ったりしている方ですが、そのあまりにも楽しく愛らしく、そして可笑しみが炸裂した作品は大人や子供に大人気で、全国の展覧会や物産展にひっぱりだこ。お忙しく各地を飛び回っておられます。
そんな豊永さんの作品を私が知ったのは、信陽堂 の丹治さんと美佳さんから。
いつもライヴにいらしてくださるお二人から、ある日、沖縄のお土産として、豊永さんの作られた「すごろく」をいただいたのです。
ぶっ飛びました。
なんだかすべてのことが「はみ出している」!(もちろんいい意味で。)
すごろくなのに、絵が気になってすごろくができない!
沖縄に遊びに行くよりも、この豊永さんのお店に行くためだけに沖縄へ行きたい、と思いました。
そして即座にネットであれこれ他の作品をみて、カルタを買ったりして、ますます虜になりました。
そのすごさについては、口では説明できないので、サイトなどをご覧ください。

そして、これはもう、次のジャケットはこの人に描いてもらう以外に考えられない!と思うようになり、丹治さんになんとかご紹介いただき、豊永さんが新宿の京王百貨店に作品を並べられる期間を狙ってお願いにいったのでした。
そうして、無理矢理ジャケットの件を引き受けていただくことができました。

さて、その同じ頃、絵は豊永さんにお願いして描いていただくとしても、それをジャケットやブックレットにしていただくのはどうしたらよいでしょう?丹治さん?と、またもや丹治さんにご相談しました。
丹治さんは、私に豊永さんを紹介してしまった手前、今更「さあ?」と言えなくなってしまった気の毒な人、というか、もうその時点で「大変頼りない方向音痴の船頭がユラユラ漕ぐタライの船」にもう乗り込んでしまっていたのです。

丹治さんは、電話のむこうでおそらくいろいろお考えになってくださった。
そして、横須賀拓さん という、またまたすてきなデザイナーの方を紹介してくださったのです。
横須賀さんは、淡くてきれいな、和菓子を思わせる色使いと、作為を感じさせない、それでいて、心地よいかどうかがおそらく無意識下で本能的に?計算された配置で、すばらしく気持ちのよいデザインをされるひと。
横須賀さんのデザインは、とても風通しがよいので大好きです。

豊永さんの天真爛漫な絵を、横須賀さんの、穏やかで、それでいて心がうきうきするようなデザインで包んでいただき、こうしてそれはそれはすてきなパッケージができあがりました。

いろんなワガママや無理をきいてくださりながらこんなかわいい絵を描いてくださった豊永さん、すてきなデザインをしてくださった横須賀さん、そして、シロウトの私をなだめ、デザインチームのリーダーとして船を導いてくださった丹治さんと、成り行きをずうっと笑って見守り続けてくださった美佳さんに、心から感謝しています。

[link:1286] 2012年12月31日(月) 15:09

2003年6月16日までの日記


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