『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1276] 2012年09月08日(土) 15:38
録音は、ピアノからスタートしました。
普通、この編成でピアノから録音、というのはあり得ないのですが、諸々の事情、都合など合わせるとそこから行くしかない、となり、ともかくピアノから録ることになったわけです。
こうしてはじまったピアノ録音。
今回はどうしても弾きたいピアノがあり、そのピアノのあるクリケットスタジオに、無理をきいていただきお願いすることができました。
そのピアノとは1926年のsteinway。
1926年といえば、敬愛するかこさとし先生が生まれた年です。
私はどうやら1926年生まれが好きなようです。
かこ先生が日本で生まれた同じ年、このピアノはハンブルクあるいはニューヨークの工房で生まれ(ニューヨークかハンブルクかは確証がありません)、某超有名音楽家の手に渡り、それが巡り巡ってクリケットスタジオへ来たとのことでした。
このピアノを初めて弾いたのは何年か前のコマーシャルの録音の時。
ひと弾きしてすっかりこのピアノが好きになってしまいました。
私の作った脱力的メロディを弾いたはずだと思いますが、その脱力メロディさえなぜだか小さく吐息をついてしまうような感じ。
実際に弾きやすいかどうかでいえば、弾き込みが浅くて、すぐによく響くこのピアノは、一言で言えば私にとっては「なかなかむずかしい」のですが、一度弾いたら、もっと弾きたい、このなんともいえない枯れた美しい音色に身を委ねていたい、という気持ちになる不思議なピアノです。
このピアノでとにかく条件の許す限り、録り進もう、ということになりました。
でもなにせ2枚組で、曲がたくさんありますから、このスタートの時点で「おそらく全曲はムリなんじゃないか...」と誰もが思っていたと思います。
そして、やはり全曲はムリでした。
その結果、おそらく録り切れないであろう分の予測をたてて、その分は私の実家のアップライトで録音することになりました。
かたや1926年のスタンウェイ、かたや35年ものではあるけれど私が4歳から練習していて、今は実家にひっそりと鎮座している普通のアップライト。しかも前者はスタジオ、後者はただの部屋です。
しかし、この落差がミラクルを生むことになるのです。
人間、開き直るとなんだかよくわからない幸運を呼ぶことがあるようで、この実家の部屋でのアップライトピアノも、またスタンウェイとはぜんぜん違った味わいで、すごく好みの音に録れたのです。
実家に置きっぱなしではありますが、毎年調律には来てもらい(といっても1年に1回ですが)木自体もいい感じに古くなって音も枯れてきているのでした。
調律師さん曰く、「とてもバランスのとれたいい意味で(?)平均的なピアノ(確かに)」なのだそうで、リアルタイムで弾いていた15年ぐらい前までは鍵盤のタッチとか音もあんまり好きではなかったのだけど、それも35年も経つといい具合になってきていました。
いいぞいいぞ、と調子に乗り、5日ぐらい滞在して、保険も含め10曲録音しました。
そして、その後もクリケットスタジオでの録音をさせていただきましたが、なんといっても日々このアルバムだけやっていればよいというわけではありません。
仕事が入ればそちらの締切を優先したりしたり、勿論スタジオのスケジュールもあったりして、集中的に録音できたわけではなく、結果、延びている間に新曲も増えてしまったりして、当初は22曲のはずでしたが、いつのまにか26曲ほどになってしまったのです。
そしてそれはどこからともない「....アレ?曲増えてない?」とのつぶやきから、「だから結局何曲ナンダヨ!」へと変貌をとげていくのです。
こっそり曲目を増やしていたのですが、さすがに4曲も増えていたり、まだこっそり新曲を出そうとしている現場を見つかったりして「もう新曲禁止」令が出、ふるいにかけられ、結局2曲増の24曲に落ち着いたのでした。
それでも、録音している鳥羽修にはとんでもなく迷惑だったことでしょう。
なにせ、やってもやっても終わらないのです。
そして、この悪夢のような曲数との戦い(笑)は、半年に渡り、マスターができるまで続くのでした。