忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2012年03月11日(日)

去年のあの日から1年。
あの大きな災害が起きた直後、「この先、わたしたちはどうなってしまうのだろう」と思った時からがむしゃらに時は過ぎ、気がついたら1年が経っていました。
1年経ったからといて、時に区切りがあるわけでないのと同じように、何か区切りがつくわけでもないし、とにかく、暮らしている場所やそれぞれ置かれている状況が100人いれば100通りあるのだから、復興が進んだこともあれば、もどかしく進まぬことや、状況が悪くなっていることもあると思う。

東京にいて一連の混乱は経験したけれど、幸いにもたいしたことはなく、被災地で身近な人が亡くなったりしていない私は、報道やテレビで大切な人や暮らしを失った人たちの悲しみや辛さを見るにつけ、胸がはりさけそうになるのだけれど、実際にそれをどういう形で応援する気持ちに変えたらよいのか、ということについては、いまもわからないままです。
職を失った人に働いてもらえるようにできるような会社の社長でもないし、チャリティーライヴでたくさんのお金を集められるような立場でもないし、できることといえば僅かばかりの寄付であるとか、復興した東北へ旅行へ行くとか、微力なお手伝いとか、自分がそうだと思うことに協力する、とか、そんなことぐらい。

で結局、自分には、与えられた場所を大事にして、いつも通りにすべきことをするしかないんだなあ、ということに行き着く、という繰り返しでここまで来ています。

でもそれとは反対に、「すべきことをするしかないんだけど、できることなんかないんじゃないか?」という気持ちも同時にあります。
食べるものを作る人は今日食べるものを作ることができるし、お風呂屋さんは今日もお風呂を沸かして疲れをとることができるけれど、私の場合、音楽を作って暮らしを立てているから、「自分のすべきこと」=「ひとつひとつ大事に音楽を作る」で、それはやけに抽象的で、いつも「それって独りよがりの自己満足なんではないか?」という思いがよぎります。

特にそんな中で、7年ぶりの自分のアルバム作りを進めていて、この作業が「自分と向き合う」という点で、これまでで一番気持ち的に(簡単な言葉でさらっと言うと)「大変」であります。
もともと、自分の歌に対して「こんなことを今更歌ってどうする?」という思いが常にあるのですが、その思いがさらに強くなり、「いやー、自分にはもうできることはないんじゃないか?」という気持ちになる。
自分を無力だ、とは思わないけど、限りなく無力に近い微力だなーと思います。

でもそこに飲み込まれちゃうのはもっと無力になるので、この相反する両方の気持ちを抱えながら、それでもやっぱり、自分の作る音楽に責任をもって作っていくんだな、というところにまた辿りつく。
まるで堂々巡りのようだけれど、いまのところ、これが私の在り方なんだろうと思います。

でもひょっとして、これって世の大半の人がそうなのかもしれません。
実際声をあげれば事態は動く、たくさんの人が救われる、という立場の人や、それに値する信念と確信があってそれを貫ける人はすばらしく、どんどんやってほしいけれど、そんなことができる人はそんなにたくさんはいない。
みんな相反する気持ちを両方抱えているし、だから世界もそうなって、世の中ってごちゃごちゃしてるんでしょう。
そのごちゃごちゃの中で「それでも」と思って毎日お湯を沸かし、歩き、シャッターを開け、傘をさし、洗濯物を干し、時には花を飾り、歌をうたい、酔っぱらい、ケンカをし、毒を吐き、後悔し、泣いたり笑ったりするんでしょう。

ちっぽけである。
何の役にも立たないにちがいない。
ひょっとして、どこかで誰かの耳や「誰でもないドコカのナニカ」に届くかもしれないし、なににも届かないかもしれない。
らくがきのようなもの。
でも届いたらうれしい。
なにかをしながら、一瞬でもフンフンフフンなんて鼻歌してくれたらなおうれしい。
暮らしの中に聴こえる音楽を作るってことって、ただ、そういうことなんだな、と思っています。
だから、私が自分のすべきことをすることで、悲しい思いをしている人の気持ちが和らいだり何かの救いになったり役に立ったりするとは到底思いませんが、それでもこういう気持ちで作っています。


今年、デビューアルバムのドロップ横丁が出てからちょうど15周年。
そんなことはあんまり関係ないけど、久しぶりのアルバムがこっそり出来上がる予定です。
こっそり出来上がると思いますが、出来上がったら大きな声で「出来ましたよーーーー!」と叫ぶつもりです。
いつかどこかで聴いてもらえたらうれしいです。
うん、がんばるぞ。

[link:1272] 2012年03月24日(土) 02:26


2012年02月01日(水)

今年になってから、まだ2日分しか日記書いてないうちにもう2月。
このところの寒さはさすがに堪え、これまで、デニムの下にはタイツなど履いたことなかったのですが、もうガンガンに履いております。
家では、靴下、股引、ずぼん、脚絆(レッグウォーマーですね)の四重履きで、さらに足首にカイロを貼るというものすごいことになっております。
で、冬といえば欠かせないのは毛糸のセーター。
しかしセーターばかりは、そこそこ安いものはもちろん、どんなに上等のカシミヤでも活躍すればするほど毛玉ができてしまうのだ。
特におうちで着ているようなゆるーいセーターなんて、ローテーションで何度か着ればすぐに毛玉になってしまう。
でも毛玉ができたからといってセーター自体はなんの傷みもなく、捨てるわけはない。
しかしなんとなーく、毛玉だらけというのはテンションが落ち、「残念セーター」になってしまう。
気に入って買ったのに残念セーターとはさらに残念。
というわけで、トイレとか、ふとひとりになった時に思わずちっちくちっちくと地味に毛玉をむしったりしてしまうのだ。

というような、「なんとなく憂鬱な一連の行為」が、毎年のように繰り返されているのだけれど、去年の暮れ、この憂鬱を吹き飛ばす、すばらしい発言を聞いた。
とある宴会で、とある美術関係の仕事にたずさわる人のテキトーな発言だったのだけど、私は密かに感動したのだ。
大勢いらっしゃるところだったので、お名前を失念してしまったのですが、あの人、すごいなー。

「もう出掛けてくるのに、毛玉だらけのセーターしかないから、毛玉に色を塗ってドットのセーターにしようと思ってやってみたんだよ」

結局その思いつきの実践は、染料の問題もあり、うまくいかなかったそうなのだけど、そこは問題ではない。
毛玉ができたから取るのではなく、それに色を塗ろう、なんて思い立ったのがすごい。
今まで、取った毛玉をがあつまった丸いモハモハを何か使い道がないか、とは考えたことはあるけど、とらないでそこへ色を塗る、というのは考えたことなかった。
考えただけで笑えるし、新しいセーターになるような気がしてちょっとわくわくする。

ピンチをチャンスに、とか、弱点をチャームポイントに、とか、結果サクセスストーリー、みたいなふうに言われても「へー。まあ、そうだよねえ。」と思うだけだけど、「できた毛玉には色を塗ろう」というのは、久々に感動した。

それから、私は毛玉を取らなくなった。
というか、毛玉が憂鬱でなくなった。
色はまだ塗っていないけど、このセーターなら塗るならちょっとくすんだグリーンかな、とか、グレーとネイビーかな、とか考えたりしています。
毛玉と共に寒い冬をあったかく過ごしましょう。

[link:1271] 2012年03月11日(日) 17:32


2012年01月07日(土)トムのこと

新年の挨拶を書いた次に、こんなふうなことを書くことになって、悲しくて、やりきれない思いですが、書いておかなければ。

元NRBQのドラマーTom Ardolinoの訃報が届きました。
時々体調が悪かったり、よくなったりしている、というのは聞いていましたが、まさか、こんなに突然のお別れが来るとは思ってもみなかった。

トムは、ほんとうに心から大大大好きなドラマーです。トムがタン!と叩いた途端、世界がまるごとグルーヴし、スウィングし、ローリングするあの感じ!世界のどこをさがしてもトムは他にはいない。
と同時に、大大大好きなお友達であり、そのやさしくてお茶目でテンテコな素晴らしい人柄を本当に尊敬していました。
何年か前に来日した時、吉祥寺でメンバーと一緒にごはんを食べようと歩いていた時、待ち合わせたホテルのロビーで、椅子に座って子供のように足をブーンブーンと振り回してみんなを笑わせていたトム。
道ばたの「Bar Rabbit」というお店のうさぎの看板を見て、「Oh~ Rabbit....」とうれしそうにつぶやいたトム。
いつも目がきらきらしていて、恥ずかしそうに笑うのに、ドラムを叩き出すとどんだけかっこいいんだよー?!と思わず笑っちゃうぐらいなトム。
日本のポップス、インディーズにものすごく造詣が深く、一緒にディスクユニオンに行っては探してるCDを一緒に探したっけ。
えーー?
トムーーーー?!
もう会えないなんて信じられない。

訃報を知ったのは外で、家に帰るまでは、信じられないのと実感がわかないのとで、キョトーンとしていたのだけれど、家に帰って写真を見た途端、発作的に号泣してしまって、自分でびっくりした。
だから、これを書きはじめたのは1月7日だったんだけど、なんだか気持ちをだらだら羅列するばっかりで、支離滅裂になっているかもしれません。
でも思い出しちゃったりすればするほどどんどん泣けてくるので、その号泣以後、写真も見れず、曲も聴けず、映像も見れず、TwitterやFacebookを見る気持ちにもなれず、ましてや自分のやりかけの作業もできず、日記も書きかけたけど途中のまま、しばらくケイタイの「同じ図柄を3つそろえて消す」パズルゲームをやっていました。

しかしとにかく、それでもトムは天国へ行ってしまったわけで、もっと手紙や電話をすればよかった、とか、もっと会いたかった、とか、そういう後悔はあるけれど、もう祈るしかないし、他にももっともっとかなしく、さみしい思いをしている人もいるのだから、ちゃんと私も私なりに精一杯の祈りをトムに捧げなければ、と思い直し、これを書いています。

トムに心からありがとうってことと、これからもずっとトムは世界一大好きなドラマーだってことと、わたしたちずっとずっとトムのこと愛してるってことをトムに伝えたかった。今、それを祈りに代えるってのも残されたこちら側の勝手な気休めなのかもだけど、でももうそれしかできない。
どうか、どうか、安らかな旅立ちを。
苦しみから解放されて、スティーヴもいる天国でたくさん大好きなレコードを楽しんでください。
トム!

1270.jpg 640×480 (original size)

写真は当時の日記にも載せたけど2001年の来日時。2006年にスティーヴたちと来た時は、トムは終わったらすぐホテルに引き返してた記憶。

[link:1270] 2012年01月08日(日) 15:35


2012年01月01日(日)今年もどうぞよろしくおねがいいたします。

必死になって、新しいカバーイラストを作っている間に年が明けてしまいました。

昨年のご挨拶もしないままでしたが、昨年ライヴにお運びくださったみなさま、一緒に演奏してくださったみなさま、ライヴをする場を与えてくださったみなさま、いろんなことで力を貸してくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。

昨年は色々なことがあり、まだまだ大変な時代は続くのだろうなあ、と思うのですが、それでもすべてのものは、止まることなく進んでいきますね。
時間の概念というのはひとつのものさしですから、このでっかい流れからすると、年が明けようが、夜が来て朝が来ようが、大して関係ないような気もしますが、それでも朝が来て、日が暮れて夜になり、寒くなり、暑くなり、今年もガタゴトと進んでゆくのですね。

みなさま、今年もできる限り健やかに、ユルく、スルドく、そして軽やかに、泣いたり笑ったり歌ったりしましょう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

[link:1269] 2012年02月01日(水) 23:10


2011年12月17日(土)シャウトがしてみたい

ふとしたきっかけで、Screamin' Jay Hawkinsを聴き、私も「シャウト」がしてみたくなった。
してみたくなった、というか、前々からやってみたいと思っていて、家人の居ぬ間にこっそり練習したこともあるが、まったくダメなのだ。
シャウトといえば真っ先に思い浮かぶJBことJames Brownや、このScreamin' Jay Hawkins、キヨシローもしかり、いわゆるシャウトというのとはちょっと違うけれど、身近なところでは、ブラウンノーズの二人もかっこいいシャウトができる人々だ。
ゴスペルで歌が叫びになっていくのも、とにかく、みなその叫びは寸分のブレがない。
感情がたかぶってやたらめったらに叫んでいるように見えて、実は当然のことながら、叫び手は絶妙なチューニングのトーンへ、しかるべきボリュームと太さを備えた叫び声をどひゃーっと持っていっているのだ。
特にアレサなどを聴くと、「叫び」は完全に歌の延長ってことが大変よくわかるから、件のScreamin' Jay Hawkinsだって、唐突に狂ったように叫んでいるのも、「ちゃんと叫んで」いるのだろう。
それが天才的に無意識でできてしまっているのか、ものすごい緻密な計算に基づいた「歌」としてのトーンを出しているのかは人それぞれでどっちの場合もあると思うけど、「ゔぁーっぅ」なり「ぎゃー」なり、のソレは音のはずし具合、声の太さ、量、そこまでもっていく時間とスライドの加減は、すべてが絶妙でバッチリはまっている。
シャウトでなくて普通の声で「はずす」時だって、そのキーとバッキングに合ったところへはずさないと、なんかどうもお尻の座らない変テコな感じになってしまうから、それをシャウトでやるのはなおさら難しい。
などと、考えてみると、考えるほどかえって歌えなくなってしまうようなすごい技なのだ。

ブラウンノーズは私の「迷子のステップ」という曲でも、ごきげんに叫んで?くれている。
で、私もやってみた。
具体的には、「ワン・トゥ・スリ・フォ・ワン・トゥ・スリィィィィィィィッヤッ」!
.........。
なんだか幼児が癇癪を起こしているようだ。

ではJB風はどうか。
「ワン・トゥ・スリ・フォ・ワン・トゥ・ヒャ〜〜〜〜〜〜ウゥ」!
.........。
だめだ。

まず声がとてつもなく頼りない。
JB風どころか、百歩譲ってただの「悲鳴」として考えても不足である。
小さな声で、こういうイメージ、という感じで出すことはできる。そして、トーンというかこのぐらいにはずした音、というのはかろうじて出すことができる。
しかし、ねらったトーンは出せたとしても、圧倒的に声のボリュームと太さがまったくない。

シャウトをするには、その前にまず立派な悲鳴をあげられないことにはダメなのか?
いやしかし、悲鳴悲鳴と簡単に言うが、そもそも、悲鳴というものすら、日常ではそんなにあげるものでもない。
日常の中で、不意に本気でびっくりすると「うぐっ!」とか「ひゃっ!」とか、かなりお尻の切れたような感じになってしまいがちだ。
よくドラマとかで見る「キャーー!」という立派な悲鳴は、「これから驚くぞ」と頭の中で準備された悲鳴だと思う。

となると、悲鳴の練習からしなければならないが、なにしろこの練習は家ではしにくい。
鳥の首をしめたようなほっそい声を日常的に上げるのも、逆に、立派な悲鳴があげられるようになったとしても、大変近所迷惑だ。

スタジオに一人で入ってもカラオケボックスに一人で入っても、ちょっとは外に声がもれるかもしれないので、延々と一人でシャウトの(または悲鳴の)練習をするには少し勇気が必要だ。
近所におばけ屋敷なんかがあると意外と練習場所に便利かもしれない。
「これから怖いはず」とわかっていながら適度にほんとにびっくりするから、こちらには「悲鳴を上げる準備がある」し、なにより、心置きなく悲鳴をあげられる、という安心感がある。
悲鳴をあげまくっていても、誰からも変だと思われないので、立派な悲鳴があげられるようになったらシャウトの練習に移行すればよい。
行きたい。おばけ屋敷に。
そして、いつか自在にシャウトができるようになってみたいものだ。
今のところ自分の音楽性にはまったく生かされないような気もするが。

[link:1268] 2012年01月01日(日) 01:45

2003年6月16日までの日記


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