忘れ物はないね?:2012-02-01

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2012年02月01日(水)

今年になってから、まだ2日分しか日記書いてないうちにもう2月。
このところの寒さはさすがに堪え、これまで、デニムの下にはタイツなど履いたことなかったのですが、もうガンガンに履いております。
家では、靴下、股引、ずぼん、脚絆(レッグウォーマーですね)の四重履きで、さらに足首にカイロを貼るというものすごいことになっております。
で、冬といえば欠かせないのは毛糸のセーター。
しかしセーターばかりは、そこそこ安いものはもちろん、どんなに上等のカシミヤでも活躍すればするほど毛玉ができてしまうのだ。
特におうちで着ているようなゆるーいセーターなんて、ローテーションで何度か着ればすぐに毛玉になってしまう。
でも毛玉ができたからといってセーター自体はなんの傷みもなく、捨てるわけはない。
しかしなんとなーく、毛玉だらけというのはテンションが落ち、「残念セーター」になってしまう。
気に入って買ったのに残念セーターとはさらに残念。
というわけで、トイレとか、ふとひとりになった時に思わずちっちくちっちくと地味に毛玉をむしったりしてしまうのだ。

というような、「なんとなく憂鬱な一連の行為」が、毎年のように繰り返されているのだけれど、去年の暮れ、この憂鬱を吹き飛ばす、すばらしい発言を聞いた。
とある宴会で、とある美術関係の仕事にたずさわる人のテキトーな発言だったのだけど、私は密かに感動したのだ。
大勢いらっしゃるところだったので、お名前を失念してしまったのですが、あの人、すごいなー。

「もう出掛けてくるのに、毛玉だらけのセーターしかないから、毛玉に色を塗ってドットのセーターにしようと思ってやってみたんだよ」

結局その思いつきの実践は、染料の問題もあり、うまくいかなかったそうなのだけど、そこは問題ではない。
毛玉ができたから取るのではなく、それに色を塗ろう、なんて思い立ったのがすごい。
今まで、取った毛玉をがあつまった丸いモハモハを何か使い道がないか、とは考えたことはあるけど、とらないでそこへ色を塗る、というのは考えたことなかった。
考えただけで笑えるし、新しいセーターになるような気がしてちょっとわくわくする。

ピンチをチャンスに、とか、弱点をチャームポイントに、とか、結果サクセスストーリー、みたいなふうに言われても「へー。まあ、そうだよねえ。」と思うだけだけど、「できた毛玉には色を塗ろう」というのは、久々に感動した。

それから、私は毛玉を取らなくなった。
というか、毛玉が憂鬱でなくなった。
色はまだ塗っていないけど、このセーターなら塗るならちょっとくすんだグリーンかな、とか、グレーとネイビーかな、とか考えたりしています。
毛玉と共に寒い冬をあったかく過ごしましょう。

[link:1271] 2012年03月11日(日) 17:32

2003年6月16日までの日記


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