『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1259] 2011年08月07日(日) 00:14
朝の東京駅に、Pちゃんは金色の靴でやってきた。
今年も、恒例の珍旅行『Pちゃんとのおたのしみ会』がやってきたのだ。
今回、私たちが目をつけたのは奈良県生駒市。生駒駅前にある『ぴっくり(”びっくり”ではない)通り商店街』と
そこからケーブルカーで行く山頂の遊園地だ。
例によって事前の相談はとてつもなくざっくりしており、アクセスとかも適当に調べると大阪難波から近鉄で
生駒までサッと行けてしまうことがわかったので、とりあえず私が新大阪までの新幹線の切符を入手。
東京駅に朝8時40分ね!ということだけをとりあえず決めた。
そして、ホテルも適当に取っておくよ、と安請け合いしたのであった。
しかし、7月の夏休み突入直後の土日、思い立ったのが遅かったので、なかなかホテルは空いていない。
難波から行ったり来たりするのなら、難波周辺がよかろう、とホテルを検索すると、すぐに『大阪帝国ホテル』という
のが出て来た。
へえ、大阪の帝国ホテルって難波にあったんだ?と思って、どんなもんだろ、とサイトを見に行って見ると、…………うん?
なんだかどうも少し様子が違う。
帝国ホテルにしてはサイトの作りがカジュアル。そして、正面玄関の横に看板みたいなのが出てる。
そして値段がいやに安い。いや、安いのは歓迎なのだが、サイトに乗っている部屋のうち『JAPANESE』という和室スタイルのお部屋の写真を見て、完全に違和感を覚えた。
と思って、よくよく見直すと、トップページの『大阪帝国ホテル』と書かれた下に、ちっちゃーく「当ホテルは東京の帝国ホテル系列とは別になります」と!
えぇぇ?そんなことあるの?と思って、では本当の帝国ホテルの大阪支店(?)が確かあったはずだけど、それはなんていうのか?と思い調べると、そちらは『帝国ホテル大阪』なのであった。
『大阪帝国ホテル』と『帝国ホテル大阪』。
さすが商人の町大阪。誰も文句を言わず、両者共存してるようだ。
へえ、と感心したついでに、では、その帝国ホテル大阪のほうはどのぐらいの料金なのか、と思って見てみる。
すると、こちらもさすが商人の町、帝国ホテルといえど、状況次第で結構安いプランがある。土曜日に大人2名でスーペリアルなんとかというまどろっこしい部屋に泊まれてしまうのが、件の『大阪帝国ホテル』のツイン18,000円とあんまり変わらない。アクセスも都合よい。しかもどこも満室の土曜日なのに運良く空いている。しかし残り2室。
ということで、偶然に検索にひっかかった『帝国ホテル』という名の、別々のホテル2軒を比べただけだったが、
私の中では、もう完全に『帝国ホテル大阪』でいいよね!という気分になり、あっさり予約をしてしまった。
実はこの時点で、私はアクセスの勘違いをしていて、帝国ホテル大阪は近鉄で生駒から難波に帰ってくる途中の『桜ノ宮』という駅にある、と思い込んでいたのだが、『桜ノ宮』は鶴橋で JR環状線に乗り換えないと行けなかった。
(しかも、根本的に、『生駒』へは、東京からは『京都』経由で行ったほうが簡単で微妙に早く、料金も微妙に安かったことに私がまったく気がついていなかった。Pちゃんは京都経由で行くつもりでいたらしく、話が食い違っていることに前日に気がつく。)
けれども、まあ、大して困ることもなく前夜を迎え、Pちゃんに、待ち合わせ場所は去年飯坂温泉へ行った時に待ち合わせた中央コンコースにある『旨井門(ウマ イ モン と読む)』ね!いつもPちゃんがカツサンド買うとこね!と念を押す。
去年、待ち合わせ場所で落ち合えず右往左往した顛末が思い出され、その時の日記を読み直したりしてみると、なんと、あんなに一生懸命漢字まで説明した『旨井門』の『井』を間違えていたことが、今年になって発覚した。
正しいのは『囲』だったのだ(もうどっちでもいいが)。一瞬、自分の思い込みを棚にあげ、店が漢字をマイナーチェンジしたのかと思った(その根拠のない自信はどこから?)が、どう考えても私が去年間違えて覚えていたのだろう。ま、いいか。
で、その『旨囲門』から、今年も旅は始まった。
時間は冒頭に戻る(進む?)のである。
Pちゃんは金色の靴でやってきた。否、すでに待っていた。カツサンドも買って。
駆け寄った私に、開口一番、『ねえ、だるま弁当売ってたよ!だるま弁当買いなよ、ねえ、だるま弁当。』と言う。
え?だるま弁当?と見に行くと、なるほど、有名な高崎名物のだるま弁当だ。
中には、いろんな色の丸いものが詰められていて、瞬時に自分がそれを好きかそうでもないか判断できない。
その前に、その丸いものたちが何なのかもよくわからない。
しかし、だるまの形のケースは、食べた後、貯金箱になる、とたしかテレビでも見たことがある。
たしかにかわいい?というか、おもしろい。けども、どういうお弁当かよくわからない。
Pちゃんは自分はさっさとカツサンドを買ったくせになぜ私にこの群馬の駅弁を?
私が黙ってだるま弁当を見ていると、私の隣でもおばさんが、片手を差し出しながらだるま弁当を凝視しており(サンプルの写真で中身の丸いものが何か考えている様子)、おばさん買うかな?と思ったら手を引っ込めて向こうへ行ってしまった。
私もそこでつい勢いを削がれ、無言で考えているうち、もう新幹線の時間が迫ってきてしまったので、お茶だけを買って新大阪行きののぞみに乗った。
新大阪までは、3時間近くあったはずだが、何を喋っていたのかまったく思い出せない。
Pちゃんが金色の靴で登場したのは『そりゃ、大阪へ行くから』だそうで、トップスも、『一見きみどり色とオレンジ色のハデハデ柄だがよく見るとみかんと洋梨のフルーツ柄、という、大阪に負けないように計算されたスタイリングだ』だとか、『泥のように疲れてゴロゴロしていたお休みの日に、テレビで気持ち良さそうに背骨をのばしていたから、取り付かれたようにフラフラと買ってしまった通販の背骨のばしチェアは、やってみたら、背骨のラインに全く合わず、すごい苦痛だった』だとか、後から思い出そうにも、その二つぐらいしか思い出せないような、もう、とにかく完璧なまでの『ただのおばちゃんの雑談』しかしていなかったのだけど、新大阪までの3時間はサッと経ってしまった。幸せである。
そして新大阪で下車、地下鉄に乗り換えてなんばまで行き、そこから近鉄奈良線に。
若干複雑な経路だったが、まわりの人に聞きまくり、順調に進む。
そして、生駒に到着したのはお昼を回った12時半すぎだった。
つづく