『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1257] 2011年07月29日(金) 22:43
[link:1259] 2011年08月07日(日) 00:14
[link:1260] 2011年08月07日(日) 23:26
[link:1262] 2011年09月24日(土) 17:42
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すっごく楽しくて終わるのもったいないなあ、なんて思いました。
多田さんのチャーミングな演奏スタイルとお人柄!
またすてきな方とご一緒できてうれしい限りです。
お客さまも、遠くから、ご近所から、いつも来てくださる方や、お久しぶりの方、はじめましての方がたくさんかけつけてくださって、中にはずうっとピアノの後ろで私の背中ばかり見るハメになっちゃった方もいらして、ほんとうに感謝の気持ちと、ごめんなさい、という気持ちです。
ライヴって、音もうたもおしゃべりもみな空気の振動で、目には見えないから、演奏するほうも聴いてくださるほうも関係なく、その場の見た目は「ただひとつの場になんだかんだと人々が集まっている」だけでしかないのに、あの人に会えた、この人とおしゃべりできた、またあの人が笑ってた、なんていう些細なことをお互いに受け取り合って、なんとなくうれしい気分になれる、という、これこそヒトの楽しみであろう、という楽しみが味わえる場所なんだなあ、と改めて思います。
そういう場を与えてもらえるっていうのは、なんとラッキーでうれしいことでしょうか。
サンジャックのピアノも楽しく鳴っていたし、平林さんの料理や心遣いもとてもすてきで、あの日のあの場でしかあり得なかったあの場を一緒に過ごしてくださったみなさまに心からお礼申し上げます。