『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1248] 2011年04月10日(日) 17:14
そこに少しでも気分を紛らわせたかったり、誰かと話しをしたかったり、そしてオマケでもなんでも私の演奏を聴くのも悪くないな、と思ってくださる方がいらっしゃるのであれば、その時間を分かち合って、共に過ごそうと思います。
自分が、誰かに何かを与えられるような存在だとは思っていません。
そして私も、こんな時、歌を歌っている場合だろうか?と思わないでもありません。
ただ、私も多くの誰かと同じように、やるせない気持ちがあり、でもかといってそれを言葉にするでもない日々の、ほんの少しの隙間で、誰かとどうでもいい話がしたいのです。
だから、このライヴをやることによって、来てくださった方に何かを与えられるとか、何かを思ってほしいなんて思ってはいませんし、かえって、まるで自分勝手な自分のためにやるようなものだ、と思います(まあ、それはいつもそんなようなことですが)。
まあ、そんなだからこそ、ただの井戸端会議のような、誰かと話したかったり、少し気を紛らわせたかったり、やるせない思いを話すわけでもないけど、なんとなくつながりたかったりする方は、軽い気持ちでどうぞお立ち寄りください。
気持ちに余裕がなかったり、こわかったり、帰りが心配だったり、みなさん色々なご事情が違うと思いますので、どうぞご無理をなさらずに。
当日は節電バージョンで、苦渋の選択で、ピアノはやむを得ず電力を使用しますが、歌はマイクを通さず、ギターも秘密兵器を使い、電力の使用をできる限り控えます。
ちょっとめずらしいライヴになるかもしれません。
おひとりでも、なんだか気を紛らわしに行ってみようかな、というお気持ちになられましたらどうぞお出かけください。
まだ、予期せぬ事態の発生により急に中止する場合がございます。当日のライヴの開催につきましては、この日記、Twitter、leteにてお知らせいたします。