『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1251] 2011年03月25日(金) 21:57
[link:1250] 2011年03月25日(金) 23:07
[link:1249] 2011年03月21日(月) 19:11
[link:1248] 2011年04月10日(日) 17:14
[link:1247] 2011年03月18日(金) 00:25
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詳細は3/21の日記を。
ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
今後ももっと個人的なものも含めて、たとえ少額ずつでもできるかぎり継続しようと思います。
ちっぽけな、ほんの石のひとつだけど、石垣を支えるひとつになるのであれば。
それにしても、いろいろ、日記で自分の思うことをつらつら書いているけど、書いたそばから、なんか矛盾や自分の考えが日々いろんな情報や考え方にとらわれて、動いていたり、やっぱりわからなくなったりする。
これってただのキレイゴトか、と思ったりもして、耐えられなくなったりもする。
そんな中、NRBQのテリーがこちらのことを心配してくれている、とのメール。
アメリカではもう放射能汚染についての報道がとにかくすごくて、いまひとつそちらの様子がよくわからない、と。
心配してくれてうれしい。
でも、東京より、被災地のほうがとにかく大変、東京はとりあえず日常は送れているから大丈夫、と伝える。
この不安について言い出したら、大丈夫、というのは被災地も東京も、もっとつっこんでいうと、日本のどこにもないし。
でもその中で気持ちを保って日々を過ごしてくしかないからなあ。
またテリーに会いたいなあ。