『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1249] 2011年03月21日(月) 19:11
[link:1250] 2011年03月25日(金) 23:07
[link:1251] 2011年03月25日(金) 21:57
[link:1252] 2011年03月27日(日) 00:00
[link:1253] 2011年04月11日(月) 00:27
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こういう状況下だし、お客さんは少しかな、と思っていましたが、キャンセルもなく、当日立ち寄ってくださる方もいて、たくさんの方に来ていただきました。
マイクを使わず、トバオさんもアコギ&エレキwith秘密道具でしたが、leteマジックのおかげで、なんとかみなさんにお聴きいただくことができ、よかったです。
今、みなさんそれぞれの場所でそれぞれ自分のすべきことを日々やって暮らしていますが、実際に被災していなくても毎日のように停電がある人も、ガソリンや食料が買えない人も、一人暮らしでなんとなく不安だったり急にこわくなったりする人もいて、私も含めてそれぞれなんとなく気持ちが曇るところがあって、それでもなんとか微々たる協力でも、我慢でも、するよ、という気持ちがある。
そういうそれぞれのいろんな思いを持ちながらも、いかに笑えるか、くだらないことで気がまぎれるか、というのもすごく大事だな、と思いました。
そして誰かと会ったりどうでもいいことをおしゃべりしたりすることで、きゅうぅぅっとなっていた心のどこかが「あ、ちょっと大丈夫になった」というのがいかに大事か。
なんだか、家の庭で、小さなキャンプファイヤでもしているような、そんな気持ちでした。
ほんとに、あの場を一緒に過ごしてくださったみなさま、ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。
そして、今、苦しんでいる多くの方々にここに集まった私たちの気持ちが届きますように。
昨日私にいただいたチャージバックは全額義援金として寄付をさせていただきます。
最初に募金を告知して、少しでもたくさんのお金を集められる力のある人はどんどんそうすべきだと思いますが、私は特に告知はせず、普通の状態で普通にライヴチャージをいただき、自分にいただいた分を全額寄付にまわす、というやり方が自分にはあっていると思い、そうしました。
日本赤十字にするか、具体的に現地で今、尽力している実績のある NPO/NGOにきちんとお金を配分してくれる「Think the Earth」基金にするかを検討しています。
ほとんどは自分の勝手で、「やっぱりいつも通りやろう」と思ってやったライヴなので、これもやっぱり自分勝手な感想ですが、そこに来て下さったみなさんと会えて、話しができてうれしかった。
そしてお客さん同士が元気に会えてよかったね〜と話し合う後ろで、ちっぽけながらも、音楽を演奏していられてうれしかったです。
けっちゃんも同じ下北の別の場所でライヴがあり、440とleteを行ったり来たりしながら、タンバリンひとつとブラシですばらしい演奏をしてくれました。
まさに職人の技、を見た思いです。
トバオさんも「これが最初で最後」と言いながらもアコギに持ち替えてくれたりして、普段とはぜんぜん違う別の良さと味わいがあったし、電池で使えるちっちゃなちっちゃなアンプを通しての、ちょっとひっしゃげたようなエレキの音はあれはあれで他ではちょっと聴けないような独特な面白さがあって、私としては、こういう編成もたまにはいいなあ、またやりたいなあ、と思うのです。
さて、話は変わりますが、昨日帰る途中で、ウチにわりあい近い某コンビニ「ヘブン(ウチでの呼び名)」に寄りましたら、スーパーにはこの数日影も形もなかった卵もカップ麺も潤沢にあり、大盛りヤキソバなんか箱で山積み。
さすがヘブン。
ヘブンは某大手コンビニエンスストアですが、お店独自の仕入れルートがあるらしく、成城石井で売っているのと同じ品物(高額!)が普通に置いてあったり、輸入品や、お取り寄せでしか買えないような各地の珍しいお店の品物が入っていたりする、不思議なお店なのです。
で、話は戻りますが、その大量に箱積みされた大盛りやきそばも、卵も、その場にいたお客さん誰も買ってない。
私は卵がちょうどなかったので1パック買いましたが、いつものように、10個入りじゃなくて6個入りがあったら充分なのに、というような気持ちになり、大盛りやきそばに至っては「箱買いできます!」の手描きの貼り紙がわりと淋しい感じにすら見え、ひょっとして売れ残っちゃうんじゃ?と一瞬、お店の人が「失敗した、仕入れ過ぎだよ〜」などと話し合っている図を想像してしまったほどです。
ちょうど、音楽における「視覚」の話で、人は「演奏している映像を見ながら聴く」のと「音だけを聴く」のとでは聴こえ方が違い、実際に演奏しているものを目で見ながら聴くほうが「大きく聴こえる」ということを聴き、改めて「視覚」って心理とか「そういう気持ちにさせる」働きが大きいんだなーと思ってた矢先だったのですが、やっぱりどうもヒトって、視覚的に「無い!足りない!」と余計に「買わなきゃ!」と思うけど、「うわあいっぱい余ってる......」とかだと「ま、いいか(「大盛りだし....」などと急に現実的な嗜好に合うか合わないかの考えに切り替わったりしちゃうのもヒトのおかしいところ)」となりがち。
まさに視覚が心理に働くマジックじゃないかと思いました。
もしあの山積みされた大盛りやきそばの箱が全部空箱で、実際には大量の中身が被災地にちゃんと届けられていたとしたら、ヘブンの人は相当に天才です。
ほんとにそうだったらいいのにな、と思いました。
だから、アホらしいかもしれないけど、品薄のスーパーでも、もうすっからかんで現品が並ばないものはしかたがないけど、これからのモノについては、「アレもない!コレもない!」って気分にならないように、空箱でもなんでも、そうできるものはぴっちり封をしてさりげなくいっぱい積んでおいたらどうだろう?
「あら、なんかやたらあるのかしら.....?」的な気持ちの余裕が生まれれば、「ない!ない!」という無意識に焦ってしまう心理に拍車がかかるのをほんのちょっとでも防げるんじゃないかしら?と思ってみたり。