『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1242] 2010年12月19日(日) 23:58
ユーフラテスといえば、NHK教育のピタゴラスイッチや0655&2355などをはじめ、いろんな方面で大名作を次から次へと発表している、最高にクールで最高にアツい(←この言い方は自分でも恥ずかしいですけども)クリエイター集団。
私も番組やコマーシャルでちょっぴりですが関わらせていただいています。
この人たちの作品に触れるにつけ、常に『天才だ.....』とアホのように感動してしまうのですが、同時に、このユーフラテスの人たちにほど、いわゆる『天才』という言葉が無意味なように思えるのも事実。
作品自体、見たり、体験したりするのは、そりゃあ楽しく、面白く、天才的です。
でも、一言で『面白い』と言うのではなんとも言葉が足りない。ユーフラテスの作り出す作品から本当に感じるのは、もっとスゴイものなのです。
なぜなら、あの人たちから発せられる作品のすべては、あの数分、数秒が、「気の遠くなるような『きっかけ』『思いつき』『研究』『検証』『実験』『データ収集』などの連続と積み重ね」によってできあがっている(と推測、というか、確信できる)からです。
『これってなんでこうなの?』とか、『こういう場合、これはどうなんだろう?』とか、『この先これはどうなるのだろう?』など、最初のとっても小さくてシンプルな興味や疑問の灯を最後の最後まで消すことなく、探求を継続し続けるエネルギーと、継続だけじゃなくて、その探求の過程で生じる限りなく多くの可能性と方向性も同時にどんどん巻き込んで試して大きな火にしていく力、本当にスゴイ!と思います。
しかし、ユーフラテスの本当にスゴイ所はここからで、その、実際には気の遠くなるような難しい思考の連続が、まるでシンプルで簡単で、フと脱力さえするような、お茶目でナイスな作品として仕上がっている、ということ。
それを観た誰もが思わず『ふふふ』と顔をほころばせずにはいられない、こんなにもエスプリ溢れる『緻密な思考と計算の世界(?)』って、ほかにあるだろうか?
作品に仕上げるにあたってのものすごい絶妙なセンスとさじ加減もまた素晴らしく、そういうすべてのところに本当に脱帽してしまうのです。
というような、私が感じたすべては、なるほど、この展覧会の『研究から表現へ』という、わかりやすいサブタイトルに集約されていて、まさに『研究から表現へ』の道を歩き続けるのがユーフラテスという集団で、これからもどんどんその研究が素晴らしい作品となって発表されるんだと思うと、ますます楽しみで仕方がない思いがするのであります。
次々と繰り出される、ピタゴラ装置や、0655や2355のロゴ、美しく愛おしいアニメーション、ちょっと視点を変えたり、考え方を変えるだけで世界の片隅のほんのちょっとしたことがこんなにも面白くなる、ということに改めて、ほんとに改めて気がつかせてくれる作品が展示されています。
私も今まで見逃していた色々なものが観られてすごくよかった。
25日まで銀座グラフィックギャラリーでやっているそうです。
http://euphrates.jp/archives/727