忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年12月19日(日)

今年のクリスマスのイヴイヴ、つまり23日は、名古屋のTOKUZOでライヴをすることになりました。
上野茂都さんが毎年クリスマスにTOKUZOでやられているライヴに出させていただくのです。
上野さんとの共演は3度目でしょうか。。。
上野さんという人は、その人となりを知れば知るほど、親交を深めれば深めるほど、どんどんとその『味わいの沼』とでもいうようなものにズブズブと入っていってしまい、気がつくとその上野沼の面白さから抜けられなくなっている、という悪魔のような素晴らしいヒトなのです。
三味線と共に繰り出される上野節は一度聴いたら忘れられず、忘れられないからまた聴きたくなっちゃう。
そんなお歌を私もご一緒させていただけるのは、大変に光栄で楽しみです。
今度のライヴでは、共演の時間もたくさんありそうですから、はりきってまいります。

さて私のセットは、ドラムにけっちゃんこと高橋結子、ギターにはトバオさんこと鳥羽修、そして私、という久しぶりの3ピースです。
けっちゃんと演奏するのは少し久しぶりですが、リハで音を出した途端、またクラスメートに会ったような感じがして、とてもうれしくなりました。
バンドではないけれど、長年にわたって一緒に演奏してもらっていることから生まれる安心感、そして、一緒に生み出してきたグルーヴや息づかいが、また新鮮な形で蘇ってきました。
私の凸凹な曲に寄り添い、こんなふうに曲をカラフルに色とりどりに彩ってくれる、というのはけっちゃんにしかできないことです。
こういうシンプルな三人編成、なんていうのもたまにやるとすごく面白くていいなあ、と思います。
そしてそして、今回は上野さんに3人全員で加えていただいて、
4人で演奏、なんてコーナーもありそうです。
楽しみ!

名古屋はとても久しぶりで、もうお知らせを出したり宣伝をしたりする術も失ってしまったほどですが、以前ライヴに来てくださった方やお友達にまた観ていただけたら幸せです。
12月23日(木・祝)、名古屋今池TOKUZOでお待ちしています。



[link:1243] 2010年12月30日(木) 14:41


2010年12月11日(土)

ユーフラテス展を観にいきました。
ユーフラテスといえば、NHK教育のピタゴラスイッチや0655&2355などをはじめ、いろんな方面で大名作を次から次へと発表している、最高にクールで最高にアツい(←この言い方は自分でも恥ずかしいですけども)クリエイター集団。
私も番組やコマーシャルでちょっぴりですが関わらせていただいています。
この人たちの作品に触れるにつけ、常に『天才だ.....』とアホのように感動してしまうのですが、同時に、このユーフラテスの人たちにほど、いわゆる『天才』という言葉が無意味なように思えるのも事実。
作品自体、見たり、体験したりするのは、そりゃあ楽しく、面白く、天才的です。
でも、一言で『面白い』と言うのではなんとも言葉が足りない。ユーフラテスの作り出す作品から本当に感じるのは、もっとスゴイものなのです。
なぜなら、あの人たちから発せられる作品のすべては、あの数分、数秒が、「気の遠くなるような『きっかけ』『思いつき』『研究』『検証』『実験』『データ収集』などの連続と積み重ね」によってできあがっている(と推測、というか、確信できる)からです。
『これってなんでこうなの?』とか、『こういう場合、これはどうなんだろう?』とか、『この先これはどうなるのだろう?』など、最初のとっても小さくてシンプルな興味や疑問の灯を最後の最後まで消すことなく、探求を継続し続けるエネルギーと、継続だけじゃなくて、その探求の過程で生じる限りなく多くの可能性と方向性も同時にどんどん巻き込んで試して大きな火にしていく力、本当にスゴイ!と思います。

しかし、ユーフラテスの本当にスゴイ所はここからで、その、実際には気の遠くなるような難しい思考の連続が、まるでシンプルで簡単で、フと脱力さえするような、お茶目でナイスな作品として仕上がっている、ということ。
それを観た誰もが思わず『ふふふ』と顔をほころばせずにはいられない、こんなにもエスプリ溢れる『緻密な思考と計算の世界(?)』って、ほかにあるだろうか?
作品に仕上げるにあたってのものすごい絶妙なセンスとさじ加減もまた素晴らしく、そういうすべてのところに本当に脱帽してしまうのです。

というような、私が感じたすべては、なるほど、この展覧会の『研究から表現へ』という、わかりやすいサブタイトルに集約されていて、まさに『研究から表現へ』の道を歩き続けるのがユーフラテスという集団で、これからもどんどんその研究が素晴らしい作品となって発表されるんだと思うと、ますます楽しみで仕方がない思いがするのであります。

次々と繰り出される、ピタゴラ装置や、0655や2355のロゴ、美しく愛おしいアニメーション、ちょっと視点を変えたり、考え方を変えるだけで世界の片隅のほんのちょっとしたことがこんなにも面白くなる、ということに改めて、ほんとに改めて気がつかせてくれる作品が展示されています。
私も今まで見逃していた色々なものが観られてすごくよかった。
25日まで銀座グラフィックギャラリーでやっているそうです。
http://euphrates.jp/archives/727

[link:1242] 2010年12月19日(日) 23:58


2010年11月29日(月)

あたらしい眼鏡をおよそ12年ぶりぐらいに作りました。
今まで、高校生の頃からずーーーーっとコンタクトに頼り切ってきて、眼鏡は寝る前か病気の時ぐらいなもので、これまでもかるーく10年ぐらいはおんなじので通しちゃってたのです。
それが最近どうも、季節のアレルギーが目に来やすくなってきちゃったようで、どうしてもコロコロしてコンタクトが入れられないことが増え、眼鏡で出かけることが多くなったのが理由です。
これまでの眼鏡はなにせ10年ものの眼鏡ちゃんですから、度は弱い、見た目も変。仕事でご一緒するような、普段私の眼鏡姿を見慣れない人々がことごとく『ドウシタンデスカ??病ミ上ガリ?』『え、どこか具合悪い?』『顔が疲れてますが?』などと斬りつけてくれる(笑)ものだから、さすがに、ちょっと、あたらしい眼鏡でもつくろかな、と思い立ったわけです。

イマドキは安くて格好のよい眼鏡をとても素早く作ってくれるお店がたくさんあるので、仕事が終わって、思い立って駆け込んだところで、すぐに様子のよい眼鏡を作ることができました。
コンタクトをしていて、ケースを忘れても、ケースまでくれて至れり尽くせりです。

あたらしい眼鏡は透明にうすい赤紫の色がはいった小さめのフレーム。
私のおせっかいカレンダーに入っている「あたらしい眼鏡」は6月の歌ですが、6月のイメージはうすい紫色。だから、眼鏡もこの色になりました。
度も少しよくしてもらいました。
フレームが小さいので、なかなか慣れるのに時間がかかりましたが、四角い枠の中からは世界がよく見えます。
コンタクトをしている時のほうが、もちろん視界は広くクリアですが、この「枠」というものから世界をのぞいているような感じは悪くありません(だってレンズが小さいから、枠が視界に入ってるんですが、枠の外は見えないんですから)。

闇夜に、前足を片方あげたまま固まってこちらを見ている猫ちゃんなどを見かけると、こちらがちょっと恥ずかしくなってしまいます。見えて当たり前のものが見えるのは恥ずかしくないのに、見えているはずなのに何かの事情で見えない状態になってるものが見えちゃうとドキドキするものなんですね。
あたらしい眼鏡はとても面白いです。

[link:1241] 2010年12月11日(土) 23:36


2010年11月28日(日)

しばらく日記をサボっていました。
やっぱりtwitterの速度でつぶやいていると、まとまった記録を文章にする、という行為から遠ざかりがち。
これがいいのかわるいのかよくわかりません。
もともと、この日記も、日々、忘れていくような些細なことを記すためにはじめたものですから、つぶやきとたいして変わらないといえば変わらないのですが.....。

気がつけば、あまり寒くなかった秋のはじまりから、もう残すところわずかになった師走の入り口に時は進んでいるのでありました。
近頃、今更ながらに改めて思ったことがあります。
twitterのタイムラインをながめるにつけ、『リアル』ってことにしみじみ思いを馳せてみたりして、改めて感じるソレは、
「人って『自分の時間の跡』を後から自分でリアルタイムで見ることができないんだなあ」ということ(あまりにも当たり前ですが)。
時間の跡、って言い方がおかしいかもしれませんが、つまり、『足跡』とか『筆遣い』のような、『時間の跡』です。
例えば、アルバムなどに記録された音楽は、その音楽があった時間の跡をあとから味わうこともできますが、ライヴではそうはいかない。
その場をムービーで撮影したものを後から見ることしかできません。
というか、録音されたものだって、結局録音されたものだから、その場のリアルタイムの跡を時間を遡って見たり聴いたりすることはできないのですよね。
そう思えば思うほど、『リアル』というのはほんとうに『とんでもなく「今」なんだ』とわかればわかるほど、記録をしなくても、自分では確認のできない、『音楽という空気の振動(=今)があった跡』が感じられるような音楽を演奏したいなあ、と思うようになりました。
人を感動させたい、とか、すごく楽しませたい、とかっていうことじゃなくて、もっと基本的な、『私がそこで音楽を奏でた』という『時間の跡』があるような、演奏。
もちろん、ライヴをするからには、来てくれた人が楽しかったり面白かったり、何かを感じてくれたりしてくださったらそんなうれしいことはなく、そういうライヴでありたいと思ってやるんですが、まだまだ未熟な私としては、『楽しませる』なんて、おこがましいよなあ、と思うこと、よくあるのです。
でも、『私なりの時間の跡が、音の跡が、つまり「いま "今" があったこと」が感じられるようなライヴをしよう』、というのなら、自分にとってリアルに思える。
さらには、そこに、自分だけじゃなくて、一緒に演奏してくれる人や観に来てくれる人、天気や温度や空間の大きさ、そこにいる人一人一人の気分やなにもかもの偶然が合わさって、一つの時間があって、それがその場の時間の跡になってそのうち消えていく。
その連続がつまりリアルってことなんだな、そしてそれはとてつもなくすごい確率のことばかりで、そういうとてつもなくすごい確率のことがこの世のそこらじゅうで発生して消えているんだな、と思ったら、もう居ても立ってもいられなくなるのです。

記録できることなら、その、この世のあちこちで起きているすべてのことを全部1枚1枚切り取って記録したいけど、シャッターを切る時間も時間は経って追いつかないから、最後はずーーーーーっとシャッターを押しっぱなしにする、というか映像にしちゃったとしても、その映像をみる時間も記録しないといけないから、つまり、結局『時間の跡』なんてものは見ることができないのだ!
気が遠くなりそうだけど、だからこそ、そのほーーーーーーーんとにちいさいちいさい『今』の中の、幸運なことに『加藤千晶ライヴ』なんて名前をつけられる時間は、『ちゃんと味わって消えていく「今」』でありたいなーと思うのです。
っていうか、ライヴだけの話じゃなくて、全部だけど。
ライヴや録音やおしゃべりやスケッチや散歩や買い物や、ほかにもいろいろ、その全部。
そして、悪あがきのように、時々、ほんの欠片を記録してみたり。ほんと、変テコなもんです。

遅ればせながらアップの写真は札幌のキコキコ商店でライヴ後、みんなで記念撮影したもの。この記念写真を撮るまでの短い時間のムービーも撮ったんだけど、これは「『今』の跡」がちゃんと切り取れている価値ある記録だと思いますぞ。

上左よりキコキコ商店の末木さん、チカコさん、関島さん、下左より中尾さん、漫画家の森雅之さん、加藤、トバオさん。キコキコ商店にて。

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[link:1240] 2010年11月29日(月) 01:56


2010年10月05日(火)札幌にて夢のような3日間

東京で急に寒くなった日の翌日、札幌へ向かいました。
初めてのライヴをするためです。
今回のツアーは、キコキコ商店さんが企画してくださった札幌2days。9月28日は関島さん中尾さんDUOが毎年恒例でやっておられるライヴに私がゲストで参加させていただく、というもの。
そして翌日29日は、このお二人にギターの鳥羽修を加えた4人での加藤千晶ライヴ。
キコキコ商店末木さんのお骨折りのおかげで、長年にわたって念願だった札幌でのライヴがやっと実現しました。
関島さんは栗コーダーのライヴで先に北海道へ入られており、中尾さん、トバオさん、私は27日に札幌へ向かい、キコキコ商店さんで合流しました。
今回の私は、札幌での自分のライヴも初めてでしたが、その前に関島中尾DUOにゲスト参加させていただいて一緒に演奏する、という大イベントがあったのですが、リハは札幌に到着した日(つまりライヴ前日)とライヴ当日のみ、というとってもスリリングな日程でしたので、もうソワソワしっぱなしでした。
けれども、よくよく考えてみれば、そもそもが関島さん中尾さんという、もう何があっても大丈夫なDUOなわけですから、そこでスットコドッコイでアッパッパーな人が一人つまずいたり転んだりしたところで、きっとなにもどうってことはないハズです。
そう考えると一気に気持ちが楽になり、なんだかとても楽しくなってきたのでした。
今回のメニューは、オリジナル曲はもちろん、バルトークや戦前の童謡、オクシタニアのクリスマスキャロルなど、バラエティに富んだもので、なおかつ、私には普段やってみたことのないことにもたくさん挑戦する、というものでした。
楽器は、まずピアノは使わず、キコキコ商店にある足踏みオルガンと、ピアニカ。
関島さんのテューバ、中尾さんのサックス、私のピアニカで演奏したバルトークのルーマニア民俗舞曲集は、不思議な編成だけど、なぜか民俗色が濃くなる感じがしました。
ほかにも、中尾さんが小学校の近くを通った際、「聞き取って曲にした」という「大森東五丁目小学校」や、「くつやのマルチン」、足踏みオルガンで「てぶくろ」「ありそうでない曲」、それから地を削りながら走るような「伝説列車」、「けむり」など、どれもすごく大好きな曲で、一緒に演奏させていただけて本当にうれしかったです。
個人的にはリベンジしたいところも多々あり、またいつかの機会に呼んでいただけることがあるといいなー、と思っています。

そして翌日は私のライヴ。
ちいさなお部屋にドラムセットもデジピも置いてのセットで、場所も音も含め、はじめどうなるんだろ?と思っていましたが、音楽というのはエライもので、どんな「場」であっても、そういう「場」がある限りその「場」にちょうどよい音楽になって鳴るようにできているようです。
もっともそれをコントロールしている演奏者のみなさんがスバラシイのであって、やはりそこは前日同様、もうこれだけの方たちにバックを支えていただいているのだから、私はそこで安心して歌ったり踊ったり走ったり転んだりすればよいだけのことでした。
うれしかったのは、初めて観てくださった方もみなさん楽しそうに終わってからお声をかけてくださり、さらには、何年も待っていてくださった、という方々が「おせっかいカレンダー」を持ってかけつけてくださったこと。
改めて、来年は新しいアルバムを出して、近くも遠くもいろんなところでいろんな人に聴いていただきに参上しなければ、と思いました。

かくして、ライヴは楽しく終わり、夜ごと、楽しい宴が繰り広げられました。
末木さんご夫妻お手製のごちそう、絶品しそペーストをはさんだサンドウィッチ、関島さんからのサプライズの蟹、などどれも忘れがたい味ばかり。
それに加えて、東京ではこんなにゆっくりとごはんやお酒をご一緒するチャンスのない関島さんや中尾さん、末木夫妻、それから、何年ぶりかでお会いすることのできた札幌在住の漫画家、森雅之さんといったみなさんの普段あまり見ることのできない様子を見ることができて、ついついおしゃべりが盛り上がりあっという間に明け方、という毎日でした。
本当に貴重な数日間でした。
最終日にはみなで記念撮影をしました。
「カメラを置きタイマーをセットし、わやわやと並んでシャッターがおりる」という一連の様子も動画に撮ってみたのですが、
ほんの1分ぐらいの映像が2つ、これがまた映画の1シーンのようで、なんだかすごくぐっとくる映像が撮れたのでした。
昔も今も、記念写真を撮るてんやわんやな様子はまったくおんなじなようです。
その記録をこのメンバーでできたのはものすごく幸せで、このとてつもなく短い2本の動画は宝物になりました。
札幌という遠い地でも、こうやって音楽をつむぐことができ、またその音楽に耳を傾けてくれる人がいて、そして手を振って別れたかと思えば、また手紙の返信のようにうれしい言葉を返してくださる。
そしてこれはオマケだけど、偶然札幌の古道具屋さんで出会った白い招き猫ちゃんは遠く離れた東京にやってくることになり、今はうちの棚の上にポテンとすわっている。
こうやって、いろんな人のいろんなモノやコトや気持ちや気温や気配が遠く近くあちらこちらに運ばれて、それが途中でこぼれたりとどまったりしてまたそこから草が生えたり花が咲いたり綿毛が飛んだりして、また知らなかった人と人やモノやコトが偶然につながったりする。
それはもう果てしない気の遠くなるような偶然がつながって、人やモノやコトがつながっているんだなあ!と涙が出そうになります。
こういうコトやモノで毎日は、この世の中はできているんだなあ、と今更ながらに思うのです。
このすべてをぜーんぶを一つ残らず、こぼれても忘れても、残らず携えて行くぞ、と思います。

キコキコ商店に足をお運びくださったみなさま、そして末木さんご夫妻、関島さん、中尾さん、トバオさん、本当にありがとうございました。

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[link:1239] 2010年11月28日(日) 19:15

2003年6月16日までの日記


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