忘れ物はないね?:2010-11-29

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年11月29日(月)

あたらしい眼鏡をおよそ12年ぶりぐらいに作りました。
今まで、高校生の頃からずーーーーっとコンタクトに頼り切ってきて、眼鏡は寝る前か病気の時ぐらいなもので、これまでもかるーく10年ぐらいはおんなじので通しちゃってたのです。
それが最近どうも、季節のアレルギーが目に来やすくなってきちゃったようで、どうしてもコロコロしてコンタクトが入れられないことが増え、眼鏡で出かけることが多くなったのが理由です。
これまでの眼鏡はなにせ10年ものの眼鏡ちゃんですから、度は弱い、見た目も変。仕事でご一緒するような、普段私の眼鏡姿を見慣れない人々がことごとく『ドウシタンデスカ??病ミ上ガリ?』『え、どこか具合悪い?』『顔が疲れてますが?』などと斬りつけてくれる(笑)ものだから、さすがに、ちょっと、あたらしい眼鏡でもつくろかな、と思い立ったわけです。

イマドキは安くて格好のよい眼鏡をとても素早く作ってくれるお店がたくさんあるので、仕事が終わって、思い立って駆け込んだところで、すぐに様子のよい眼鏡を作ることができました。
コンタクトをしていて、ケースを忘れても、ケースまでくれて至れり尽くせりです。

あたらしい眼鏡は透明にうすい赤紫の色がはいった小さめのフレーム。
私のおせっかいカレンダーに入っている「あたらしい眼鏡」は6月の歌ですが、6月のイメージはうすい紫色。だから、眼鏡もこの色になりました。
度も少しよくしてもらいました。
フレームが小さいので、なかなか慣れるのに時間がかかりましたが、四角い枠の中からは世界がよく見えます。
コンタクトをしている時のほうが、もちろん視界は広くクリアですが、この「枠」というものから世界をのぞいているような感じは悪くありません(だってレンズが小さいから、枠が視界に入ってるんですが、枠の外は見えないんですから)。

闇夜に、前足を片方あげたまま固まってこちらを見ている猫ちゃんなどを見かけると、こちらがちょっと恥ずかしくなってしまいます。見えて当たり前のものが見えるのは恥ずかしくないのに、見えているはずなのに何かの事情で見えない状態になってるものが見えちゃうとドキドキするものなんですね。
あたらしい眼鏡はとても面白いです。

[link:1241] 2010年12月11日(土) 23:36

2003年6月16日までの日記


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