忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年09月26日(日)黄金町で列車の音をきく

黄金町は試聴室その2でのライヴにお越しくださいましたみなさま、どうもありがとうございました。
共演の上野茂都さんの素晴らしき世界は、秋の夜長に明日のお天気のこと、今日の食卓のこと、などに思いをめぐらせながら聴くとさらに趣が倍増で、とてもよい夜でした。
あの、「ゆったり」と「するどさ」が一緒に存在する「上野時間」が大好きです。

試聴室その2、というところは線路の下にあるので、何をしていても、突然電車が通り過ぎ、それがなんともいえないよい感じがします。
きのうも歌っているとき、時折、ゴトトンゴトトンと電車がやってきては遠くへ過ぎてゆき、なんとなく、自分がこの音楽ごと、どこかの町へ運ばれていくような気持ちがしました。
いっそ、風船にくくりつけた手紙みたいにどこかへ運ばれて、知らない町のどこかのお部屋で本を読んだりしている知らない人のところへ私の妙な歌が届いたら面白いなあ、とか、ライヴが終わったら、あの場所ごと、知らない町に到着しちゃってたりしないかなあ、なんて思ったりしました。

とにかく、楽しい秋の夜でした。
遠くや近くからかけつけてくださったお客さまと、上野さん、永山さん、トバオさん、すべての皆さんに、どうもありがとうございました。

この日は仲良しの従姉が1歳半になるベイビーを連れて観に来てくれました。ベイビーといっても1歳半の女の子はもう小型のレディです。少し前までは男の人の顔を見ては泣いていたようですが、昨日はもうすっかり人懐っこいおしゃまさんに成長していて、にこにことご機嫌。ライヴも時々外に出たりしながら、とてもおりこうに楽しんでくれたようでした。
終演後、私がカズーを目の前で吹いてあげると、目をまん丸にして後ずさりした後、何度もアンコールしてすっかりお気に入りに。
でも汽笛の鳴る笛にはキョトーンと無反応で、「あれ?」と思いましたが、考えてみてハッとしました。汽笛を鳴らして走る汽車なんてこのあたりじゃまったく縁がありませんから、彼女は知ってるはずもありません。
あの「ポーーーッ」という音を聴いてすぐに「汽車」とわからない世代もワンサカいるんですよね。電話のベルだって、黒電話の「リリリリリーン」というのが、ぜんぜんリアルじゃない世代もうんといるわけだし、さらに同じ世代でも場所や状況によっても違うし、改めて「リアル」っていうのは個人個人独特のものなんだなあ、と実感します。
そして、音楽でも絵でも文章でも映像でも料理でも話でも、建築や生活道具やスタイル、日々の工夫に至るまで、そういう、いろんな人のそれぞれのリアルがガツーンと感じられるものがなにより面白いと思えます。古い時代とか今とか関係なくて、いつだろうとどこであろうと、その人がその時だからこそできたもの、というものにすごく興味があるし、ものすごく愛おしさを感じます。

しかしながら、ここで難しいのが、その、刻々と過ぎて行くリアルな一瞬を一つの形として記録に残す、ということで、少なくとも自分の中ではそのリアルをバッと切り取らないといけない、ということ。
いろいろな分野でいろいろな人々がそういう作業に成功してすばらしいものを世に残していて、そのすごさには感動する。
熱にうかされたように一瞬でババババッとできたものもあるだろうし、8年前に描いて、どうにもしっくり来なかったものに再び筆を入れてできた絵もあるかもしれない。3歳の時に繰り返し聴いた歌のグルーヴやハーモニーが自分の音楽に顔をのぞかせることもあると思う。その制作がその人にとって、かけるべき時間で、リアルな時間であれば密度は同じで、つまりは「その人時間」で一番リアルなものができたらいいな、と思うわけです。

昨日のライヴは、すべてアルバム未収録の曲ばかりにしてみました。
2005年におせっかいカレンダーを出してから、それ以降も新しい曲はけっこうできているのですが、ライヴでの「その時その時で消えていく形」が面白く、なかなかそれを形にとどめることができないでいました。
でも「それらをまとめる」、というふうには考えないことにして、今の私のリアルがうまく記録できたらいいな、と思いながら新しいアルバムのことをずっと考えています。
何かが切り取れればいいか、と思います。といっても一瞬ではできないんだけど。

そして28日、29日は札幌のみなさまにお目にかかります。
今まで加藤千晶のライヴを観ていただいたことのない方にも観ていただけたらうれしいです。

[link:1238] 2010年10月05日(火) 00:05


2010年08月16日(月)夜の図書館

15日の『図書館と加藤千晶・音楽と夜の時間』へお越しくださいましたみなさま、どうもありがとうございました。
暑い盛りの、しかもお盆というお休みまっただ中にもかかわらず、たくさんの方にお運びいただき、とてもうれしかったです。
誘ってくださった図書館、曲もアレンジも演奏も素晴らしく、汗にまみれたくちゃくちゃの日々が浄化されるようでした。
図書館というバンドは夜の室内の匂いもするし、それでいて、終演後に栗原さんが仰っていたように野外のフェスも似合いそう。
スーーーッとした光が1本、限りなく続いているようです。

そして私のチームで今回一緒に演奏してくださったのは、前回のワンマンと同じく関島岳郎さん、中尾勘二さん、トバオさん。
この編成で初めて一緒に演奏した前回に感じた、グルーヴと「帆に受けた空気の塊」のようなものが、2回目の今回でははじけて躍動して、大小さまざまな色の風や波しぶきとなって私のまわりを包んでくれたように思います。
9月29日の札幌キコキコ商店でのライヴがますます楽しみになってきました。

とにもかくにも、きのうはよい夜になりました。
こういう楽しいライヴが、いつもお世話になっているホームグラウンドのMANDA-LA2でできる、というのはすごくうれしいものです。
出演者はもちろん、場所もお客さんも空気もぜーんぶが関係して、瞬時に如実に「その場」ができあがるライヴってほんと、エライことです。
お運びくださったみなさま、図書館、一緒に演奏してくださったみなさま、MANDA-LA2のみなさま、あの場にいて、その束の間の場を一緒に作ってくださったすべての方々に心からお礼申し上げます。

次は9月25日の黄金町試聴室その2です。そしてすぐに札幌!
これからもいろいろなみなさまやモノのお力を借りて、私もますますすてきな場が作っていけるように精進します。

加藤チームのセットリストをアップしてみます。


図書館と加藤千晶・音楽と夜の時間』2010.8.15 MANDA-LA2

加藤千晶 (piano・vo・melodion)
関島岳郎 (tuba)
中尾勘二 (dr・tb)
鳥羽修  (g・toys)

1. 忘れものはないね?
2. Happy Trick
3. 虫歯日和
4. トプタプ
5. こども
6. I Want To Be Your Sunshine
7. かいじゅうのにじむ街
8. コップ切符切手汽笛
9. 台無し〜マネシタシネマ
10.町屋の塀
11.らくがき線路
12.迷子のステップ

[link:1237] 2010年09月26日(日) 13:48


2010年08月01日(日)そして八月スッピョコタ

夏も熟されてきました。
毎年、八月、と聞くとなぜかだんだん日向が黄色く見えてくるから不思議です。

さて、この夏、NHK教育では「0655」「2355」の特番がありました。
あの素晴らしき数分間が連続になって構成されたすてきな時間を堪能でき(大事にしまっておきながら、時々取り出してみてはニヤニヤするハードカバーのような番組になってましたね)、歌わせていただいている『あたし、ねこ』や『わたし、犬、いぬ』もまとめて見られてうれしかったです。

そして、「いないいないばぁっ!」では作詞をさせていただいた『かえるスッピョコタ』が登場しました。
この曲がオンエアになってから、人から『スッピョコタってナニ?』と聞かれたり、時々blogなどで『スッピョコタて!』とツッコんでくださっているのを見て、ひとりニヤニヤしています。聞かれても、照れくさいのと、なかなか簡潔にうまく説明することができず、『え〜、スッピョコタは、スッピョコタですよお』などとやっていましたが.......。

『スッピョコタ』とは何か。

かえるの様子を表すオノマトペとして作ったこの言葉ですが、ただ『跳ねる』様子ではなく、『鳴く』様子でもありません。
もちろんかえるの名前でもありません。
そもそもは、『それがそれ自身として、それ以外の何ものにも代え難い人生をズッコケながらも存分に思いきり生きている様子を表す言葉』を作りたかったのです。
それの主役が今回かえるだったから、なんとなくかえるっぽい響きにして、スッピョコタ。
だから、少し大げさに言ってみるならば、『かえるがかえるとして、ほかの何ものにも代え難い「人生」ならぬ「蛙生」をズッコケながらも元気に生き(もちろん蛙自身はそんなこと思いもしないでしょうが)、跳んだり、跳び損ねたり、落っこちたり、鳴いたり、食べたり、食べ損ねたり、ちょっとマヌケだったり、でもそんなこと関係なかったり、そしてまた跳んだりしている様子』といったところでしょうか。

当たり前のことですが、どんな生き物も、それは他のどの生き物とも違い、個体差も含め、他とは違います。
人間にはおへそはあるけれどあんなにピョンと跳ねられる足はないように、かえるも他のどれともちがって、かえるはかえるです。
そしてかえるも人間も犬もぞうも蟻もそれぞれの長所や短所や得意なことや苦手なことや失敗や成功をちまちまと繰り返しながら暮らしています。
いける、と思ったことが失敗することもたくさんあり、もうダメだ、と思ったことが思いがけず素晴らしい結果を生むこともある。
この世に完璧はあり得ない、という前提に基づいて、そういう凸凹を越えながら、つまりは自分の場所で自分のすべきことをのびのびとしていく様子を表した言葉、またはそれを実行する当事者をさす言葉が『スッピョコタ』です。

だから今回はかえるが主役なので、かえるの様子を表現しましたが、意味的には、極端に言えば『ちあきスッピョコタ』でも成立します。
足りないところもたくさんあって、およそ完璧からはほど遠く、日々失敗したりたまにうまくいったり、でもそんな私が、『私以外の何者でもない私自身の人生を泣いたり笑ったりうかれたりして奮闘している様子』です。

『うっかり八兵衛』的に活用するならば『スッピョコ千晶』となりましょう。
『うっかり』という言葉が『八兵衛』にくっついて『うっかり八兵衛』になった途端、ただそそっかしいという一般的な意味を越え、うっかり八兵衛の『彼自身がうっかりだからこその凸凹人生を思いきりに生きている様子を表す言葉』または『そういう人生を生きている八兵衛自身を愛を込めて呼ぶ言葉』として機能しているように(?)、『スッピョコタ』も『この愛すべき人生!』を表すような言葉になればいいな、と大きな妄想を描いています。

そんな壮大な意味を持つ『スッピョコタ』ですが、使い方も、ほぼ『うっかり八兵衛』的なシチュエーションで使うとしっくりくるようです。何かやっちゃった時に愛あるツッコミとして、そしてエールの気持ちを込めて

『こいつぁスッピョコタだ』

あるいは

『まったくスッピョコタなんだから』

『すいません、スッピョコやっちゃいました』

などと言ってみる。
または単に語尾につけても、楽しいです。
よろしくお願いしまスッピョコタ。

[link:1236] 2010年08月16日(月) 16:20


2010年07月25日(日)福島お楽しみ会その二・そして飯坂温泉

さて今年のPちゃんとのお楽しみ会。
二本松でさんざん歩いて足を棒にした翌日(『その一』は6月30日の日記をご参照ください。)
この日はいよいよ飯坂温泉へ向かう。
そして向かったことは向かったのだが、前夜、ひょんなことから(なぜそんな話になったかは全く思い出せないが)『ギャル雑誌を見た事があるか』という話になり、そのせいで、ふと立ち寄った本屋さんでギャル雑誌をひやかしてしまったのがすべてのはじまりだった。
大人の女子旅をしているはずのPちゃんと私(完全アラフォー)は、そこに繰り広げられている、気が遠くなるようなギャルメイクをぜひマネしてみよう、ということになった。
ギャルメイク..... 。
今までギャルは何人も見たことはあるが、そのメイクの構造などについてはまるで知らない。
どこにどういう線が入っていて、何をどの辺りに貼っていて、何をどういうふうに塗っているのか、テレビで『マクドナルドのポテトをグロス代わりにする』、とギャルの人が話しているのは聞いた事があるけど、唇なんかたいしたことはない。
目だ。なにしろ、目が3倍になるのだ(ギャル雑誌によると)。
流行の『垂れ目メイク』、さらに『目が3倍』、これはもうやってみるしかない。
そして載っているギャルのモデルさんたちがことごとくやっている『アヒル口』の表情もやってみたくてたまらない。
そこで、その足で駅ビルのドラッグストアへ行き、とりあえずよくわからないが『つけまつ毛』、『キラキラっぽいアイシャドウ』、眉毛マスカラ、などを買いそろえ、さらにはイキオイで、ギャル服屋さんで黒のタオル地にピンクの水玉、ピンクのハートのポケットのショートパンツのセットアップ(上下で1000円)、それにコーディネートして同じくピンクのタオル地の8cmぐらいの立体ハートに水色のリボンとラインストーンのついたヘアゴムも買った。
一気にギャルマネグランプリ略してG1グランプリへまっしぐら、である。
しかし、レジでは、店員さんから『コチラご自宅用ですか?』と聞かれ、ニッコリ笑ってうなずいたものの、なんとなく領収書をもらってしまった。
そんなこんなで結局、尾道のそれとはまた別の意味で、駅ビルで買い物をしまくり、ようやく飯坂温泉へ向かうべく、電車に乗ったのだった。

飯坂温泉へは、福島駅から福島交通の飯坂線というのに乗って行く。
単線で、ゴトゴト田舎町を進む飯坂線は、途中、山あり川あり緑あり、と、和む景色もたくさんあったであろうが、行きの車内ではもっぱらギャル雑誌を読み込み、猛勉強。車窓は無視。
頁を繰るにつれ、どうやら近頃のギャルの間では、『ウィンクしながら舌を出す』というポージングが流行っているらしいことがわかった。それから、名前につける『〜〜ちゃん』というのは©と表記するらしい。『ちあきちゃん』ならば『ちあき©(実際にはコピーライトを表す©より少し大きい)』と表記する。男子の『君』は、当然○の中にKだ(今マルケーを打ち込んでも出てこないので変換断念)。
というようなことを勉強しているうちに、飯坂温泉までのおよそ30分はやっぱりサッと経ってしまった。

そして降り立った飯坂温泉駅。
予想していたとおり、とてもひなびている。
というか、寂れている。
というか、駅前の旅館がいきなり廃墟だ。
観光地や温泉街に漂っている『なんとなく浮かれた感じ』は全くない。思った通りの展開だ。
とりあえず、駅前のおそば屋さんで腹ごしらえ。
おそば屋さんだが、中華そばにもこだわっているようで、冷やし中華を注文。正真正銘の『おそば屋さんの冷やし中華(おつゆは出汁と酢を合わせた感じ?)』で和む。
この日宿泊する旅館は登録有形文化財にも指定されている、なんと創業は赤穂浪士の討ち入りよりも前という(現在の建物は江戸末期のものと明治のものらしい)のなかむらや旅館だ。
玄関をくぐると、江戸から続く帳場、吊るされた大福帳、でかい柱時計。磨かれた廊下。そして出迎えてくださった女将の心尽くしもすばらしく、よいお宿に巡り会えた、と感激する。
しかも、お部屋は1階ごとに1組しかお客さんを受けておられないらしく、お部屋は2人なのに3部屋続きの間だ。
興奮しながら館内をあちこち見てまわり、トイレのかわいさなどにも小躍りする。そしてその感激も醒めやらぬうち、夜ごはん前に町を散歩しようと宿を出て、あちこち散策する。
しーんとした道に、歌のサビ部分が喘ぎ声からはじまる『あん、あ、あん、飯坂のひと〜』という妙な歌が流れている。
演歌とムード歌謡がまじったような曲だ。
歌い手さんは「このサビ部分の『あん、あ、あん』が決め手で採用されたのでは」、と思わせるような独特の歌い方だ。
その独特な歌い方に惑わされて歌詞の意味まで頭がまわらなかったのだが、よーーーく聴いてみても、ただ「去ってしまった人の特徴を羅列」するばかりで、やっぱり歌われている状況がまったくわからない。
てっきり女性目線で「去ってしまった男」のことを歌っているのかと思っていたのが、時折「俺のこと忘れたか〜」と言ったりするので結局なにもよくわからないまま終わってしまった。
そしてシャッターが半分閉まったお店をあちこち訪ね、奥の奥に眠ったデッドストックなどを見せてもらったり買ったりしつつ、改めて、この町の旅館のかつての3割ぐらいが廃墟になってしまっていることを確認する。中には玄関は一応営業しているようになっているが、棟続きの宿泊施設は外からみたらまるきり廃墟のようなホテルもあった。
あまりにこわいので、町を一周して(それでもずいぶん歩いた)散歩は終了。
宿に戻り、さあ温泉、とお風呂場へ行ったものの..... 。

飯坂のお湯は、死ぬほど熱かった。
事前調査で、飯坂温泉は湯温が高い、ということはうすうす知ってはいた。
けれども、これほど熱いとは!
下町の銭湯レベルではない。
まず、湯船から体を洗うところへ溢れ出ているお湯が熱すぎて、洗い場を歩けない。タイルを素足で踏めないのだ。
当然、入った途端「あち!あちあち!あちちち!」と裸踊り(正確な情報をお伝えするため、お許しください)である。
前日の二本松で歩き続けてできた靴ズレにも死ぬほどしみる。
もう、一刻も早く出なければ。
結局、湯船の温泉に入ったのは5秒だった。
この5秒も相当がんばったのだ。
入れないのだから仕方がない。
なんとなく、敗北感を漂わせながらお部屋へ帰った。
けれども、そこにはその気分を吹き飛ばすような、あたたかいおいしいごちそうが待っていて、自家菜園のお野菜や、新鮮な魚介をふんだんに使ってすごく丁寧に作られたお料理の数々は、瞬く間に私たちを再び有頂天にしてくれたのだった。

そして、お腹も満たされ、あとはもう暗く静かな温泉街の夜。
どちらからともなく、「さ、やるか....」という空気になり、Pちゃんがやおら件のギャル雑誌をテーブルに乗せた。
買ってきたブツもドンと乗せた。
そして、それからおよそ2時間。
私たちはギャルメークに取り組んだ。
何がなんだかわからなかったが、ベースメークをとりあえずキラキラに塗って、それから、ツケマ(※つけまつ毛)をつけてみた。
ツケマは目の本当の輪郭から上は1mm、下は3mm(※あくまで私たちの解釈です)ほど外側につけるのである。
そして、つけたところと本当の目の縁までの空いたスペースをアイライナーで塗る(※あくまで私たちの解釈です)のである。
そしてツケマをつけたまつ毛ごとぐいぐいとビューラーで上げ、ワサワサとマスカラをつけるのだ。
で、目頭のとこに白いやつを塗る。
........できた。
というより、無理矢理やった。
果たしてそれは、「ギャル」ではなかったように思う。
まず、圧倒的にツケマが足りなかったのだ。
もっと買えばよかったのだけど、私たちはギャルの目をナメていた。
片方の目につき3重ぐらいにしなければあの目にはなれないのだ。
そして、完全に技量不足。
私は「何かをとても無理しているようだが、正体が何者なのかまったく判別がつかない感じの人」、Pちゃんなどは、どこか「ビジュアル系バンドのドラムのコスプレをした人」のような風情である。
どちらにしても、とりあえず「ギャル」ではなかった。
ギャルの人たちはすごい。
一時期、ギャルの人たちを見て『スゴイなあ』と思っていたけど、あれはあれで簡単にマネできるものではなく、今は別の意味で『スゴイなあ』と思う。
あのメイクができるって相当な専門技術だ。
人にはそれぞれに得手不得手があって、本質的に無理なことを無理やりやるのはキツイなあ、としみじみ思ったりもした。

しかしそれから数分間、がんばりにがんばってギャル服を着て、ピンクのハートのヘアゴムをしてアヒル口をして撮影もした。
雑誌のポージングをマネて2人でセルフ写真、みたいなアングルも撮ったが、「二人羽織」にしか見えず、断念。
しかし、ひとしきり『やるだけのことはやった』というような達成感はあり、後は笑いもせずさっさとメイクを落とした私たちだった。

というわけで、今回の旅は、一応表向きは『温泉と散策』という女子旅だったが、登録有形文化財の宿の一部屋で、まさかこんなことをするとは自分でもまったくの想定外で、一番印象に残っているのは突然思いついた『ギャルメイク実践』だった。



写真は通行禁止で行けない旅館。


1232.jpg 480×640 (original size)

[link:1232] 2010年08月01日(日) 16:48


2010年07月12日(月)最初の島に上陸、そして次の島をめざす

吉祥寺MANDA-LA2においでくださいましたみなさま、冴えないお天気の中、どうもありがとうございました。
船出してからこの最初の島が見えるまで、緊張と焦り、反省の連続でした。とくに、今回初めてご一緒した中尾さんの、『譜面を見ない』というスタイルと、それとはまるで反対の自由度の少ない私の楽曲。これらをどうやって近づけていくか悩みました。でも、よくよく考えてみれば私だって大してコードネームもわからずに響きだけで作ってるのだし、自分から出してしまったものは結果的に自由度の少ない曲になっているけれど、自分から出す時は何にも乗っ取っていないのですから、つまりは似ているのでは?と思うようになりました。
カタチあるものはくずせばよいし、くずれていってまた別のカタチができればそれでよいのです。
今回、それを体験できていることで、いろんなことがわかってきてとても興味深いです。
まだ私自身、私そのものから自由にはなれていません。この先、もっと自由になって、それからまた別の決めごとやカタチの妙が生まれてくるのかもしれませんし、そのどちらもが共存する音楽が生まれるかもしれません。
そのあたりは自分でも興味深く、大事に経験を積みたいと思っています。
とにかく、この4人編成での船は、最初の島に上陸しました。
そしてこれからまた次の島まで航海は続きます。
この経過を見守り、足を運んでくださるみなさま、遠くから手をふって応援してくださるみなさま、この船旅を力強く支えてくださっている関島さん、中尾さん、トバオさん、MANDA-LA2およびスタッフのみなさまに、ほかにも、この船旅以前から常に私の凸凹な珍道中を支えてもらっているけっちゃんや河瀬さん、るっちゃんや異国の地で本当に旅中の川口〜川ぼん・サボテンひげサックスくん・のんちゃん・のんきくん〜義之さん(数日後のフエブロ関島さん日記をご参照ください)に、心からお礼を申し上げます。
次回8月も、そして北の地、札幌でのライヴもどうぞよろしくお願いいたします。

[link:1235] 2010年07月25日(日) 22:50

2003年6月16日までの日記


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