『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1240] 2010年11月29日(月) 01:56
[link:1241] 2010年12月11日(土) 23:36
[link:1242] 2010年12月19日(日) 23:58
[link:1243] 2010年12月30日(木) 14:41
[link:1244] 2011年01月13日(木) 22:16
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やっぱりtwitterの速度でつぶやいていると、まとまった記録を文章にする、という行為から遠ざかりがち。
これがいいのかわるいのかよくわかりません。
もともと、この日記も、日々、忘れていくような些細なことを記すためにはじめたものですから、つぶやきとたいして変わらないといえば変わらないのですが.....。
気がつけば、あまり寒くなかった秋のはじまりから、もう残すところわずかになった師走の入り口に時は進んでいるのでありました。
近頃、今更ながらに改めて思ったことがあります。
twitterのタイムラインをながめるにつけ、『リアル』ってことにしみじみ思いを馳せてみたりして、改めて感じるソレは、
「人って『自分の時間の跡』を後から自分でリアルタイムで見ることができないんだなあ」ということ(あまりにも当たり前ですが)。
時間の跡、って言い方がおかしいかもしれませんが、つまり、『足跡』とか『筆遣い』のような、『時間の跡』です。
例えば、アルバムなどに記録された音楽は、その音楽があった時間の跡をあとから味わうこともできますが、ライヴではそうはいかない。
その場をムービーで撮影したものを後から見ることしかできません。
というか、録音されたものだって、結局録音されたものだから、その場のリアルタイムの跡を時間を遡って見たり聴いたりすることはできないのですよね。
そう思えば思うほど、『リアル』というのはほんとうに『とんでもなく「今」なんだ』とわかればわかるほど、記録をしなくても、自分では確認のできない、『音楽という空気の振動(=今)があった跡』が感じられるような音楽を演奏したいなあ、と思うようになりました。
人を感動させたい、とか、すごく楽しませたい、とかっていうことじゃなくて、もっと基本的な、『私がそこで音楽を奏でた』という『時間の跡』があるような、演奏。
もちろん、ライヴをするからには、来てくれた人が楽しかったり面白かったり、何かを感じてくれたりしてくださったらそんなうれしいことはなく、そういうライヴでありたいと思ってやるんですが、まだまだ未熟な私としては、『楽しませる』なんて、おこがましいよなあ、と思うこと、よくあるのです。
でも、『私なりの時間の跡が、音の跡が、つまり「いま "今" があったこと」が感じられるようなライヴをしよう』、というのなら、自分にとってリアルに思える。
さらには、そこに、自分だけじゃなくて、一緒に演奏してくれる人や観に来てくれる人、天気や温度や空間の大きさ、そこにいる人一人一人の気分やなにもかもの偶然が合わさって、一つの時間があって、それがその場の時間の跡になってそのうち消えていく。
その連続がつまりリアルってことなんだな、そしてそれはとてつもなくすごい確率のことばかりで、そういうとてつもなくすごい確率のことがこの世のそこらじゅうで発生して消えているんだな、と思ったら、もう居ても立ってもいられなくなるのです。
記録できることなら、その、この世のあちこちで起きているすべてのことを全部1枚1枚切り取って記録したいけど、シャッターを切る時間も時間は経って追いつかないから、最後はずーーーーーっとシャッターを押しっぱなしにする、というか映像にしちゃったとしても、その映像をみる時間も記録しないといけないから、つまり、結局『時間の跡』なんてものは見ることができないのだ!
気が遠くなりそうだけど、だからこそ、そのほーーーーーーーんとにちいさいちいさい『今』の中の、幸運なことに『加藤千晶ライヴ』なんて名前をつけられる時間は、『ちゃんと味わって消えていく「今」』でありたいなーと思うのです。
っていうか、ライヴだけの話じゃなくて、全部だけど。
ライヴや録音やおしゃべりやスケッチや散歩や買い物や、ほかにもいろいろ、その全部。
そして、悪あがきのように、時々、ほんの欠片を記録してみたり。ほんと、変テコなもんです。
遅ればせながらアップの写真は札幌のキコキコ商店でライヴ後、みんなで記念撮影したもの。この記念写真を撮るまでの短い時間のムービーも撮ったんだけど、これは「『今』の跡」がちゃんと切り取れている価値ある記録だと思いますぞ。
上左よりキコキコ商店の末木さん、チカコさん、関島さん、下左より中尾さん、漫画家の森雅之さん、加藤、トバオさん。キコキコ商店にて。