忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年07月25日(日)福島お楽しみ会その二・そして飯坂温泉

さて今年のPちゃんとのお楽しみ会。
二本松でさんざん歩いて足を棒にした翌日(『その一』は6月30日の日記をご参照ください。)
この日はいよいよ飯坂温泉へ向かう。
そして向かったことは向かったのだが、前夜、ひょんなことから(なぜそんな話になったかは全く思い出せないが)『ギャル雑誌を見た事があるか』という話になり、そのせいで、ふと立ち寄った本屋さんでギャル雑誌をひやかしてしまったのがすべてのはじまりだった。
大人の女子旅をしているはずのPちゃんと私(完全アラフォー)は、そこに繰り広げられている、気が遠くなるようなギャルメイクをぜひマネしてみよう、ということになった。
ギャルメイク..... 。
今までギャルは何人も見たことはあるが、そのメイクの構造などについてはまるで知らない。
どこにどういう線が入っていて、何をどの辺りに貼っていて、何をどういうふうに塗っているのか、テレビで『マクドナルドのポテトをグロス代わりにする』、とギャルの人が話しているのは聞いた事があるけど、唇なんかたいしたことはない。
目だ。なにしろ、目が3倍になるのだ(ギャル雑誌によると)。
流行の『垂れ目メイク』、さらに『目が3倍』、これはもうやってみるしかない。
そして載っているギャルのモデルさんたちがことごとくやっている『アヒル口』の表情もやってみたくてたまらない。
そこで、その足で駅ビルのドラッグストアへ行き、とりあえずよくわからないが『つけまつ毛』、『キラキラっぽいアイシャドウ』、眉毛マスカラ、などを買いそろえ、さらにはイキオイで、ギャル服屋さんで黒のタオル地にピンクの水玉、ピンクのハートのポケットのショートパンツのセットアップ(上下で1000円)、それにコーディネートして同じくピンクのタオル地の8cmぐらいの立体ハートに水色のリボンとラインストーンのついたヘアゴムも買った。
一気にギャルマネグランプリ略してG1グランプリへまっしぐら、である。
しかし、レジでは、店員さんから『コチラご自宅用ですか?』と聞かれ、ニッコリ笑ってうなずいたものの、なんとなく領収書をもらってしまった。
そんなこんなで結局、尾道のそれとはまた別の意味で、駅ビルで買い物をしまくり、ようやく飯坂温泉へ向かうべく、電車に乗ったのだった。

飯坂温泉へは、福島駅から福島交通の飯坂線というのに乗って行く。
単線で、ゴトゴト田舎町を進む飯坂線は、途中、山あり川あり緑あり、と、和む景色もたくさんあったであろうが、行きの車内ではもっぱらギャル雑誌を読み込み、猛勉強。車窓は無視。
頁を繰るにつれ、どうやら近頃のギャルの間では、『ウィンクしながら舌を出す』というポージングが流行っているらしいことがわかった。それから、名前につける『〜〜ちゃん』というのは©と表記するらしい。『ちあきちゃん』ならば『ちあき©(実際にはコピーライトを表す©より少し大きい)』と表記する。男子の『君』は、当然○の中にKだ(今マルケーを打ち込んでも出てこないので変換断念)。
というようなことを勉強しているうちに、飯坂温泉までのおよそ30分はやっぱりサッと経ってしまった。

そして降り立った飯坂温泉駅。
予想していたとおり、とてもひなびている。
というか、寂れている。
というか、駅前の旅館がいきなり廃墟だ。
観光地や温泉街に漂っている『なんとなく浮かれた感じ』は全くない。思った通りの展開だ。
とりあえず、駅前のおそば屋さんで腹ごしらえ。
おそば屋さんだが、中華そばにもこだわっているようで、冷やし中華を注文。正真正銘の『おそば屋さんの冷やし中華(おつゆは出汁と酢を合わせた感じ?)』で和む。
この日宿泊する旅館は登録有形文化財にも指定されている、なんと創業は赤穂浪士の討ち入りよりも前という(現在の建物は江戸末期のものと明治のものらしい)のなかむらや旅館だ。
玄関をくぐると、江戸から続く帳場、吊るされた大福帳、でかい柱時計。磨かれた廊下。そして出迎えてくださった女将の心尽くしもすばらしく、よいお宿に巡り会えた、と感激する。
しかも、お部屋は1階ごとに1組しかお客さんを受けておられないらしく、お部屋は2人なのに3部屋続きの間だ。
興奮しながら館内をあちこち見てまわり、トイレのかわいさなどにも小躍りする。そしてその感激も醒めやらぬうち、夜ごはん前に町を散歩しようと宿を出て、あちこち散策する。
しーんとした道に、歌のサビ部分が喘ぎ声からはじまる『あん、あ、あん、飯坂のひと〜』という妙な歌が流れている。
演歌とムード歌謡がまじったような曲だ。
歌い手さんは「このサビ部分の『あん、あ、あん』が決め手で採用されたのでは」、と思わせるような独特の歌い方だ。
その独特な歌い方に惑わされて歌詞の意味まで頭がまわらなかったのだが、よーーーく聴いてみても、ただ「去ってしまった人の特徴を羅列」するばかりで、やっぱり歌われている状況がまったくわからない。
てっきり女性目線で「去ってしまった男」のことを歌っているのかと思っていたのが、時折「俺のこと忘れたか〜」と言ったりするので結局なにもよくわからないまま終わってしまった。
そしてシャッターが半分閉まったお店をあちこち訪ね、奥の奥に眠ったデッドストックなどを見せてもらったり買ったりしつつ、改めて、この町の旅館のかつての3割ぐらいが廃墟になってしまっていることを確認する。中には玄関は一応営業しているようになっているが、棟続きの宿泊施設は外からみたらまるきり廃墟のようなホテルもあった。
あまりにこわいので、町を一周して(それでもずいぶん歩いた)散歩は終了。
宿に戻り、さあ温泉、とお風呂場へ行ったものの..... 。

飯坂のお湯は、死ぬほど熱かった。
事前調査で、飯坂温泉は湯温が高い、ということはうすうす知ってはいた。
けれども、これほど熱いとは!
下町の銭湯レベルではない。
まず、湯船から体を洗うところへ溢れ出ているお湯が熱すぎて、洗い場を歩けない。タイルを素足で踏めないのだ。
当然、入った途端「あち!あちあち!あちちち!」と裸踊り(正確な情報をお伝えするため、お許しください)である。
前日の二本松で歩き続けてできた靴ズレにも死ぬほどしみる。
もう、一刻も早く出なければ。
結局、湯船の温泉に入ったのは5秒だった。
この5秒も相当がんばったのだ。
入れないのだから仕方がない。
なんとなく、敗北感を漂わせながらお部屋へ帰った。
けれども、そこにはその気分を吹き飛ばすような、あたたかいおいしいごちそうが待っていて、自家菜園のお野菜や、新鮮な魚介をふんだんに使ってすごく丁寧に作られたお料理の数々は、瞬く間に私たちを再び有頂天にしてくれたのだった。

そして、お腹も満たされ、あとはもう暗く静かな温泉街の夜。
どちらからともなく、「さ、やるか....」という空気になり、Pちゃんがやおら件のギャル雑誌をテーブルに乗せた。
買ってきたブツもドンと乗せた。
そして、それからおよそ2時間。
私たちはギャルメークに取り組んだ。
何がなんだかわからなかったが、ベースメークをとりあえずキラキラに塗って、それから、ツケマ(※つけまつ毛)をつけてみた。
ツケマは目の本当の輪郭から上は1mm、下は3mm(※あくまで私たちの解釈です)ほど外側につけるのである。
そして、つけたところと本当の目の縁までの空いたスペースをアイライナーで塗る(※あくまで私たちの解釈です)のである。
そしてツケマをつけたまつ毛ごとぐいぐいとビューラーで上げ、ワサワサとマスカラをつけるのだ。
で、目頭のとこに白いやつを塗る。
........できた。
というより、無理矢理やった。
果たしてそれは、「ギャル」ではなかったように思う。
まず、圧倒的にツケマが足りなかったのだ。
もっと買えばよかったのだけど、私たちはギャルの目をナメていた。
片方の目につき3重ぐらいにしなければあの目にはなれないのだ。
そして、完全に技量不足。
私は「何かをとても無理しているようだが、正体が何者なのかまったく判別がつかない感じの人」、Pちゃんなどは、どこか「ビジュアル系バンドのドラムのコスプレをした人」のような風情である。
どちらにしても、とりあえず「ギャル」ではなかった。
ギャルの人たちはすごい。
一時期、ギャルの人たちを見て『スゴイなあ』と思っていたけど、あれはあれで簡単にマネできるものではなく、今は別の意味で『スゴイなあ』と思う。
あのメイクができるって相当な専門技術だ。
人にはそれぞれに得手不得手があって、本質的に無理なことを無理やりやるのはキツイなあ、としみじみ思ったりもした。

しかしそれから数分間、がんばりにがんばってギャル服を着て、ピンクのハートのヘアゴムをしてアヒル口をして撮影もした。
雑誌のポージングをマネて2人でセルフ写真、みたいなアングルも撮ったが、「二人羽織」にしか見えず、断念。
しかし、ひとしきり『やるだけのことはやった』というような達成感はあり、後は笑いもせずさっさとメイクを落とした私たちだった。

というわけで、今回の旅は、一応表向きは『温泉と散策』という女子旅だったが、登録有形文化財の宿の一部屋で、まさかこんなことをするとは自分でもまったくの想定外で、一番印象に残っているのは突然思いついた『ギャルメイク実践』だった。



写真は通行禁止で行けない旅館。


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[link:1232] 2010年08月01日(日) 16:48


2010年07月12日(月)最初の島に上陸、そして次の島をめざす

吉祥寺MANDA-LA2においでくださいましたみなさま、冴えないお天気の中、どうもありがとうございました。
船出してからこの最初の島が見えるまで、緊張と焦り、反省の連続でした。とくに、今回初めてご一緒した中尾さんの、『譜面を見ない』というスタイルと、それとはまるで反対の自由度の少ない私の楽曲。これらをどうやって近づけていくか悩みました。でも、よくよく考えてみれば私だって大してコードネームもわからずに響きだけで作ってるのだし、自分から出してしまったものは結果的に自由度の少ない曲になっているけれど、自分から出す時は何にも乗っ取っていないのですから、つまりは似ているのでは?と思うようになりました。
カタチあるものはくずせばよいし、くずれていってまた別のカタチができればそれでよいのです。
今回、それを体験できていることで、いろんなことがわかってきてとても興味深いです。
まだ私自身、私そのものから自由にはなれていません。この先、もっと自由になって、それからまた別の決めごとやカタチの妙が生まれてくるのかもしれませんし、そのどちらもが共存する音楽が生まれるかもしれません。
そのあたりは自分でも興味深く、大事に経験を積みたいと思っています。
とにかく、この4人編成での船は、最初の島に上陸しました。
そしてこれからまた次の島まで航海は続きます。
この経過を見守り、足を運んでくださるみなさま、遠くから手をふって応援してくださるみなさま、この船旅を力強く支えてくださっている関島さん、中尾さん、トバオさん、MANDA-LA2およびスタッフのみなさまに、ほかにも、この船旅以前から常に私の凸凹な珍道中を支えてもらっているけっちゃんや河瀬さん、るっちゃんや異国の地で本当に旅中の川口〜川ぼん・サボテンひげサックスくん・のんちゃん・のんきくん〜義之さん(数日後のフエブロ関島さん日記をご参照ください)に、心からお礼を申し上げます。
次回8月も、そして北の地、札幌でのライヴもどうぞよろしくお願いいたします。

[link:1235] 2010年07月25日(日) 22:50


2010年07月10日(土)航海は続く

リハも終盤。
初日には、お互いに話の噛み合ってるのか噛み合ってないのかさえよくわからず、そしてお互いに人見知り(?)であった中尾さんとも少し意思の疎通ができるようになってきた。
しゃべりながら演奏する、ということも勉強した。
そして、この曲がこんなふうになるのか!という発見のみならず、人の器の大きさ、懐の深さ、そして自分の器の小ささなどにも改めて気がつき、逆に自分でも思わなかったところで私わりと神経太いな、と思うことがあったりして、色々面白い。
そして、わかったことは、どんな時でも、そこには力強く支えてくれる人たちがいて、もっと思い切って投げ出してしまえば投げたものはどうにかなっていくものだ、ということだ。
また、自分が投げたものが自分に返ってくることもあって、それはそれで、それに対しても意外と自分でもどうにかなるもんである。
言い方がずいぶん無責任のように聴こえるかもしれないけれど、
そうではなくて、これは私にとってはとても重大な成長なのだ。
もちろん、支えてくれる力強い人たちがいる、ということについては昔も今も変わりはなく、それぞれの人たちにその時その時で力強く支えてもらっているという安心感は変わらない。
ただ、今回、無理矢理自分を外国航路の船に乗せてみたことで、外国を旅したような気持ちになった。
思い描いていたものと違うところもあるし、そしてそれ以上に素晴らしいものの発見もある。
外国へ来たことで、一緒に旅している人の顔も違って見えることもある。
同じ窓からも見える景色が違い、着るシャツの色も違って見えるのだ。
それがとても面白い。
来てくださった方々にもこの面白さが伝わったらいいな、と思います。
新曲も数曲登場します。

写真は関島さんと中尾さんのお二人。間にかかった傘ごと、なんか力が抜けてて、いい仕事してます。

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[link:1234] 2010年07月12日(月) 02:48


2010年07月08日(木)旅日記の途中ではありますが、11日にアップップリケショー6を開催するにあたって、そのあたりのことを。

中尾勘二さんのすばらしさを言葉でしかも簡潔に表現するのは難しい。
中尾さんは、例えばスタジオで『ここはこうして、ここはああして、次はこんなにしてください。』『はいはい、こうね、チャッチャッチャ』というようなタイプの音楽家ではない。
ひとつの曲の景色や骨組みが体になじむまで、自分の中で煮たり焼いたり乾かしたり放っておいたりする。そこから出て来たものをまた周りに反応させていく。
まるで、『表面は平熱のようなのに、水に入れてみたら驚くほど熱されていて一気に水を沸騰させてしまう石』とかのようだ。
長く寝かせる時間と、ものすごい早さで反応する瞬発力。
いざ、一緒に演奏して中尾さんから出て来るものを聴くと、その両方がとても意味のあるものとして、その威力が発揮されているのがよくわかる。
今回、中尾さんにどうしても一緒に演奏してください、とお願いするにあたり、中尾さんご本人からまず言われたのは
『時間がかかりますよ。』
そして、
『で、時間がかかって出たものも、思ってるのとちがう可能性があります。』
でも、私は中尾さんと一緒にやりたかった。
とにかくまず、中尾さんの静かだけれどトンデモなく熱を帯びたグルーヴと、お茶目でちょっと笑えてきちゃうような、それでいて、同時に泣けちゃうようなトロンボーンが好きであった。
そして、譜面で伝えられないものを体で受け取って、投げる、という究極ともいえる演奏スタイルの人と演奏したかった。
なぜなら、私の作る曲の多くは、特にこれまでのものは、『それぞれの楽器を奏でる人が自由に』とか『何かに反応して』とか、で成立するタイプのものではなかったから。
そういう曲を作りたいという思いはあったのだけど、結果的になぜかそうならなくて、緻密にピースを作り、組み合わせることで全貌が出現する、ような感じになってしまう。
つまりそういう自分をちょっと壊してみたくなったのだ。

かくして、船は出た。
自分で漕ぎ出したのだから、最後まで漕がねばならない。
他の人たちにも乗ってもらっちゃってるから、むろんのことだ。
私が望遠鏡をのぞきながら『あっちだ!』『いや、こっちにちがいない!』『あれ、まちがえた!』などと大騒ぎしている中、中尾さんが静かな顔で水の下でエンジンをまわしている。トバオさんは寡黙な、しかし的を得た方向へ舵をとる船頭である。
関島さんは、そのすべてを、時にはアグレッシブに、時にはゆりかごのように支えてくれる頑丈な船体である。小舟ではない。
関島さんやトバオさんのすばらしさもここで語りたいのだけど、やはり同様に、簡潔に言葉で表現するのは難しいので次回にすることにする。
しかしつまり、『漕ぎ出した海は広く、時に波も荒く、天気も怪しいが、船は頑丈、エンジン快調、舵も的確』である。
望遠鏡をのぞく私だけが、猿のようにハチャメチャであるが、この機会に恵まれて本当によかった、と心から思う。

7月11日のアップップリケショーは、最初の島である。近くに見えて実は遠くにある島のようにも思えるし、彼方むこうと思っていたらいつの間にか見えていた浜辺にも思える。でもここが着地点ではないことはわかる。そして、もう二度と同じ航路を描けないこともわかる。
せっかくこのメンバーに乗り込んでもらったのだから、このメンバーのみなさんとしかできない航海をしたい。
乗り込んでから、最初の島に着くまでの貴重な『第一章』をすべてひっくるめて、大事に演奏します。
どうかみなさま、観に来てください。

[link:1233] 2010年07月10日(土) 02:53


2010年06月30日(水)福島お楽しみ会・まずは二本松

Pちゃんとの「おたのしみ会」が今年もやってきました。
今年は福島。
なんとなーく、福島の飯坂温泉ってところへ行ってみよう、きっと寂れてるよ、なんにもないよ、デッドストックの嵐かもよ、といいつつ、例によってなんの下調べもないまま東京駅で待ち合わせ。
待ち合わせの場所は、コンコースの、以前ハトヤへ行った時、電車に乗る前にPちゃんがカツサンドを買ったとこ。
私はてっきりそこが東京エキッチンだと思い込んでいて、『東京エキッチンね!』と自信満々に伝えてあったのだけど、行ってみるとそこは『東京エキッチン』ではなく、『旨井門』という一瞬読むのが難しい駅弁屋さんだったことが判明する。
あわてて、Pちゃんにそこが東京エキッチンじゃなかったことを伝え、カツサンドを買ったとこだよ、と言っても、Pちゃんはまったく記憶にないと言い、ちがうところで迷っている様子。『旨井門』という名前を説明するにも『ウマ、イ、モン?ってとこ。旨い!っていう字に井戸の井、それから門、で、ウマ、イ、モン』と、もう駅の雑音の中でごちゃごちゃ。
さらには、そこが中央コンコースだということも確信がなく、結局、コンコースを巡回しているおまわりさんまでわずらわせて、Pちゃんと落ち会うことができた。
こうしてようやく今年も出発できることになり、Pちゃんはその旨井門でカツサンドを買い、東北新幹線やまびこに乗り込む。
カツサンドを食べて喋っている間に、福島までの1時間半はサッと経ってしまった。

さて福島。
とりあえずは駅ビルを一応チェック(無意味)。
尾道へ行った時には、駅に降り立ち、民宿へも辿り着かないうちから駅前商店街にひっかかり、デッドストックの陶器やら古本やらボタンやら何やらを買いまくってしまったが、もう同じ過ちは犯さない。
どうせ帰りもここに戻ってくるもんねー、と素通りする。
そして最初は二本松市という町へ行くことになった。
二本松は福島から電車で20分ほど。
なぜ二本松か、というと、よくわからない。
なんとなく私たちのおたのしみ会にふさわしい町のような匂いがしたからであった。
果たして、降り立った二本松。
そこは、まるで、4月に行った四国の観音寺とそっくりなビミョーな町だった(『4月14日四国なんじゃこりゃ日記・観音寺』をご参照ください)。
いわゆる観光地ではない。
真っ昼間に駅前のロータリーを原付に乗った「不良」が一周して帰っていったり、道に人が歩いていない町だ。
一応「智恵子抄」の智恵子が生まれた町であるらしく、智恵子抄ならぬ「智恵子シュー」なるものが売られたりしている。
他にも、歴史好きな人ならば面白いものがあるような、そうでもないような気配もあったが、私たちは智恵子抄にも歴史にもそれほど興味がないため、ただ、シャッターの半分閉まった町を歩くのみであった。
そう、ただ歩いた。なぜなら、お店もほとんどやっておらず、喫茶店もないから。
4月の観音寺とほぼ同じ状況である。
仕方がないので郵便局で休み、一応町のマップらしきものを入手してみると、ひとつだけ興味をひかれるところがあった。
『古代玩具研究所』とある。
マップに書かれているからには有名な所なのだろうとそこを目指して再び出発するが、一向にある気配がない。
人に聞こうにも人が歩いておらず、にもかかわらずガソリンスタンドは大繁盛していて、てんてこ舞いしているので声もかけられない。
やっとのことでコンビニを発見し、アイスコーヒーとパピコを買い、場所を聞いてみると......誰も知らない。
え、有名なところじゃ......?
そこで住宅地図を持ってきてくれ、住所から大体の場所を見ていただくと、ただの民家。
しかし、せっかくここまで来たので行ってみることにする。
折悪しく、梅雨時というのに一点の曇りもない晴天、そして翌日わかることだが、この日は二本松が最高気温日本一を記録した日であった。
直射日光の下を帽子だけでフラフラ歩く、という行為はアラフォー女性の肌にとっては地獄よりさらに過酷な仕打ちだ。
Pちゃんは会社ではバリバリの(?)キャリアウーマン(のことを今時なんというか、よくわからないが)で、ほとんどがおしゃれ女性で構成されているらしい職場の上司にも部下にも信頼の厚いデキる女性であるが、ひと月も前から確保した有給休暇に、こんな炎天下の何もない町の国道沿いで悲惨な顔をしてパピコを吸っているとは誰も思うまい。
すでに有給休暇を取って行く「大人の女子旅」というイメージからは極北(実際には灼熱の地だが)の現実である。
そして、辿り着いた『古代玩具研究所』。
近所まで来て再び聞くと、作られている方が体調をくずされ今はやっていないという。
でも家はあそこの家だから行ってみてごらん、見せてくれるものがあるかもしれないよ、というアバウトな情報を頼りにおじゃましてみる。
すると吠えまくる犬に反応して、窓からおじいさんが顔を出してくれた。
そこで尋ねてみると、作ってるのは自分、今はよい木が出なくなったから休んでいる、でも前作ったのが少しだけあるから見せてあげてもよい、とのことで、股引姿で出てきてくださった。
埃をかぶった、でもとても貴重な木彫りなどを見せていただく。
木彫りのフクロウの中に更に小さいフクロウが二重構造で彫られていたり、ちいさいおひな様のダルマであったり、それらはどれもこれも、日本ではもうそのおじいさんしかできないというとっても繊細な技法で作られた素晴らしい作品だった。
小さいフクロウを一つ買わせていただいて、おいとまする。
おじいさんにはこれからもお元気でたくさん作品を生み出していただきたいと強く思う。

そして古代玩具研究所を後にして、帰り道。
私の足はもう限界だった。否、すでに限界は超えていた。
今回は大丈夫だもーん、と浮かれてサンダルで来たのがいけなかった。
足は靴ズレでもうロボットのようにしか歩けない。
ドラマであれば、「雨の中、ハイヒールを両方の手に持って、裸足でふらり、ふらり、と歩くシーン(古)」、なところである。
が、現実はそうではない。
思えば、尾道で土砂降りなのに布の靴でずぶ濡れになり、使い物にならなくなって商店街で靴を買い、数年後の奥多摩バードウォッチングでは、バードウォッチングの本当の意味をいまひとつ理解しておらず(涼しい山でかわいい鳥を見つけては喜ぶ、というイメージだった)呑気にゲタ履きで行って、山道で壮絶な痛い目にあった私。
まさか二本松の地でも再び町の靴屋さん(というか、はきもの屋さん?)に駆け込むことになろうとは。
トイレサンダルのワゴン、おばちゃんツッカケ、中高生用スニーカー、着物の草履がほとんどを占める店内を歩き回り、ギリギリの選択で2400円のズック(スニーカーではない、デッキシューズみたいな形)を購入する。
イマドキの、ほんの少し先が細くなっているアウトラインだが、イマだからなのか、リアル80年代からそのままなのかはよくわからない。
が、よくよく見てみれば、カワユイ♡と言えないこともない。ごちゃごちゃと色々な言い訳が心の中を巡るが、とにかく買うことにして、今すぐ履きたいんです、とお店のおばちゃんに泣きつくと、「はいはい、あら、足が痛いのね。」と、それはもう丁寧にヒモを通してくれた。
それから、すぐに履こうとする私を引き止め、『夕方に靴を下ろすからコレおまじないね』と両方の靴の裏にスミをちょん、ちょん、とやってくれたのだ!
このおまじないは、(全国的なものだと思うけど)私もうちの祖母からも母からも、靴は午前中に下ろすもの、と叩き込まれていて、どうしても夕方以降に下ろす時は、裏にスミか黒のマジックを塗られたものだ。
でも旅先だし、足はロボットだし、そんなことは頭に浮かびもしなかった。
なのに、おばちゃんはそんな状況でも、まるで当然のように、新しいズックの裏にマジックでチョン、チョンと黒いのをつけてくれた。
泣きそうである。
なんか、沁みた。
二本松、古代玩具のおじいさんと、この靴屋さんのおばちゃんでもう充分だ。

おまじないの靴を履くと、一気に元気になり(ただ足が楽になっただけだけど)、また駅に戻って福島に帰った。

つづく

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[link:1231] 2010年07月01日(木) 18:16

2003年6月16日までの日記


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