『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1235] 2010年07月25日(日) 22:50
船出してからこの最初の島が見えるまで、緊張と焦り、反省の連続でした。とくに、今回初めてご一緒した中尾さんの、『譜面を見ない』というスタイルと、それとはまるで反対の自由度の少ない私の楽曲。これらをどうやって近づけていくか悩みました。でも、よくよく考えてみれば私だって大してコードネームもわからずに響きだけで作ってるのだし、自分から出してしまったものは結果的に自由度の少ない曲になっているけれど、自分から出す時は何にも乗っ取っていないのですから、つまりは似ているのでは?と思うようになりました。
カタチあるものはくずせばよいし、くずれていってまた別のカタチができればそれでよいのです。
今回、それを体験できていることで、いろんなことがわかってきてとても興味深いです。
まだ私自身、私そのものから自由にはなれていません。この先、もっと自由になって、それからまた別の決めごとやカタチの妙が生まれてくるのかもしれませんし、そのどちらもが共存する音楽が生まれるかもしれません。
そのあたりは自分でも興味深く、大事に経験を積みたいと思っています。
とにかく、この4人編成での船は、最初の島に上陸しました。
そしてこれからまた次の島まで航海は続きます。
この経過を見守り、足を運んでくださるみなさま、遠くから手をふって応援してくださるみなさま、この船旅を力強く支えてくださっている関島さん、中尾さん、トバオさん、MANDA-LA2およびスタッフのみなさまに、ほかにも、この船旅以前から常に私の凸凹な珍道中を支えてもらっているけっちゃんや河瀬さん、るっちゃんや異国の地で本当に旅中の川口〜川ぼん・サボテンひげサックスくん・のんちゃん・のんきくん〜義之さん(数日後のフエブロ関島さん日記をご参照ください)に、心からお礼を申し上げます。
次回8月も、そして北の地、札幌でのライヴもどうぞよろしくお願いいたします。