『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1231] 2010年07月01日(木) 18:16
[link:1230] 2010年06月30日(水) 21:23
[link:1229] 2010年06月06日(日) 01:26
[link:1228] 2010年05月22日(土) 19:12
[link:1227] 2010年04月25日(日) 23:04
k-diary script by Office K.
※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。
今年は福島。
なんとなーく、福島の飯坂温泉ってところへ行ってみよう、きっと寂れてるよ、なんにもないよ、デッドストックの嵐かもよ、といいつつ、例によってなんの下調べもないまま東京駅で待ち合わせ。
待ち合わせの場所は、コンコースの、以前ハトヤへ行った時、電車に乗る前にPちゃんがカツサンドを買ったとこ。
私はてっきりそこが東京エキッチンだと思い込んでいて、『東京エキッチンね!』と自信満々に伝えてあったのだけど、行ってみるとそこは『東京エキッチン』ではなく、『旨井門』という一瞬読むのが難しい駅弁屋さんだったことが判明する。
あわてて、Pちゃんにそこが東京エキッチンじゃなかったことを伝え、カツサンドを買ったとこだよ、と言っても、Pちゃんはまったく記憶にないと言い、ちがうところで迷っている様子。『旨井門』という名前を説明するにも『ウマ、イ、モン?ってとこ。旨い!っていう字に井戸の井、それから門、で、ウマ、イ、モン』と、もう駅の雑音の中でごちゃごちゃ。
さらには、そこが中央コンコースだということも確信がなく、結局、コンコースを巡回しているおまわりさんまでわずらわせて、Pちゃんと落ち会うことができた。
こうしてようやく今年も出発できることになり、Pちゃんはその旨井門でカツサンドを買い、東北新幹線やまびこに乗り込む。
カツサンドを食べて喋っている間に、福島までの1時間半はサッと経ってしまった。
さて福島。
とりあえずは駅ビルを一応チェック(無意味)。
尾道へ行った時には、駅に降り立ち、民宿へも辿り着かないうちから駅前商店街にひっかかり、デッドストックの陶器やら古本やらボタンやら何やらを買いまくってしまったが、もう同じ過ちは犯さない。
どうせ帰りもここに戻ってくるもんねー、と素通りする。
そして最初は二本松市という町へ行くことになった。
二本松は福島から電車で20分ほど。
なぜ二本松か、というと、よくわからない。
なんとなく私たちのおたのしみ会にふさわしい町のような匂いがしたからであった。
果たして、降り立った二本松。
そこは、まるで、4月に行った四国の観音寺とそっくりなビミョーな町だった(『4月14日四国なんじゃこりゃ日記・観音寺』をご参照ください)。
いわゆる観光地ではない。
真っ昼間に駅前のロータリーを原付に乗った「不良」が一周して帰っていったり、道に人が歩いていない町だ。
一応「智恵子抄」の智恵子が生まれた町であるらしく、智恵子抄ならぬ「智恵子シュー」なるものが売られたりしている。
他にも、歴史好きな人ならば面白いものがあるような、そうでもないような気配もあったが、私たちは智恵子抄にも歴史にもそれほど興味がないため、ただ、シャッターの半分閉まった町を歩くのみであった。
そう、ただ歩いた。なぜなら、お店もほとんどやっておらず、喫茶店もないから。
4月の観音寺とほぼ同じ状況である。
仕方がないので郵便局で休み、一応町のマップらしきものを入手してみると、ひとつだけ興味をひかれるところがあった。
『古代玩具研究所』とある。
マップに書かれているからには有名な所なのだろうとそこを目指して再び出発するが、一向にある気配がない。
人に聞こうにも人が歩いておらず、にもかかわらずガソリンスタンドは大繁盛していて、てんてこ舞いしているので声もかけられない。
やっとのことでコンビニを発見し、アイスコーヒーとパピコを買い、場所を聞いてみると......誰も知らない。
え、有名なところじゃ......?
そこで住宅地図を持ってきてくれ、住所から大体の場所を見ていただくと、ただの民家。
しかし、せっかくここまで来たので行ってみることにする。
折悪しく、梅雨時というのに一点の曇りもない晴天、そして翌日わかることだが、この日は二本松が最高気温日本一を記録した日であった。
直射日光の下を帽子だけでフラフラ歩く、という行為はアラフォー女性の肌にとっては地獄よりさらに過酷な仕打ちだ。
Pちゃんは会社ではバリバリの(?)キャリアウーマン(のことを今時なんというか、よくわからないが)で、ほとんどがおしゃれ女性で構成されているらしい職場の上司にも部下にも信頼の厚いデキる女性であるが、ひと月も前から確保した有給休暇に、こんな炎天下の何もない町の国道沿いで悲惨な顔をしてパピコを吸っているとは誰も思うまい。
すでに有給休暇を取って行く「大人の女子旅」というイメージからは極北(実際には灼熱の地だが)の現実である。
そして、辿り着いた『古代玩具研究所』。
近所まで来て再び聞くと、作られている方が体調をくずされ今はやっていないという。
でも家はあそこの家だから行ってみてごらん、見せてくれるものがあるかもしれないよ、というアバウトな情報を頼りにおじゃましてみる。
すると吠えまくる犬に反応して、窓からおじいさんが顔を出してくれた。
そこで尋ねてみると、作ってるのは自分、今はよい木が出なくなったから休んでいる、でも前作ったのが少しだけあるから見せてあげてもよい、とのことで、股引姿で出てきてくださった。
埃をかぶった、でもとても貴重な木彫りなどを見せていただく。
木彫りのフクロウの中に更に小さいフクロウが二重構造で彫られていたり、ちいさいおひな様のダルマであったり、それらはどれもこれも、日本ではもうそのおじいさんしかできないというとっても繊細な技法で作られた素晴らしい作品だった。
小さいフクロウを一つ買わせていただいて、おいとまする。
おじいさんにはこれからもお元気でたくさん作品を生み出していただきたいと強く思う。
そして古代玩具研究所を後にして、帰り道。
私の足はもう限界だった。否、すでに限界は超えていた。
今回は大丈夫だもーん、と浮かれてサンダルで来たのがいけなかった。
足は靴ズレでもうロボットのようにしか歩けない。
ドラマであれば、「雨の中、ハイヒールを両方の手に持って、裸足でふらり、ふらり、と歩くシーン(古)」、なところである。
が、現実はそうではない。
思えば、尾道で土砂降りなのに布の靴でずぶ濡れになり、使い物にならなくなって商店街で靴を買い、数年後の奥多摩バードウォッチングでは、バードウォッチングの本当の意味をいまひとつ理解しておらず(涼しい山でかわいい鳥を見つけては喜ぶ、というイメージだった)呑気にゲタ履きで行って、山道で壮絶な痛い目にあった私。
まさか二本松の地でも再び町の靴屋さん(というか、はきもの屋さん?)に駆け込むことになろうとは。
トイレサンダルのワゴン、おばちゃんツッカケ、中高生用スニーカー、着物の草履がほとんどを占める店内を歩き回り、ギリギリの選択で2400円のズック(スニーカーではない、デッキシューズみたいな形)を購入する。
イマドキの、ほんの少し先が細くなっているアウトラインだが、イマだからなのか、リアル80年代からそのままなのかはよくわからない。
が、よくよく見てみれば、カワユイ♡と言えないこともない。ごちゃごちゃと色々な言い訳が心の中を巡るが、とにかく買うことにして、今すぐ履きたいんです、とお店のおばちゃんに泣きつくと、「はいはい、あら、足が痛いのね。」と、それはもう丁寧にヒモを通してくれた。
それから、すぐに履こうとする私を引き止め、『夕方に靴を下ろすからコレおまじないね』と両方の靴の裏にスミをちょん、ちょん、とやってくれたのだ!
このおまじないは、(全国的なものだと思うけど)私もうちの祖母からも母からも、靴は午前中に下ろすもの、と叩き込まれていて、どうしても夕方以降に下ろす時は、裏にスミか黒のマジックを塗られたものだ。
でも旅先だし、足はロボットだし、そんなことは頭に浮かびもしなかった。
なのに、おばちゃんはそんな状況でも、まるで当然のように、新しいズックの裏にマジックでチョン、チョンと黒いのをつけてくれた。
泣きそうである。
なんか、沁みた。
二本松、古代玩具のおじいさんと、この靴屋さんのおばちゃんでもう充分だ。
おまじないの靴を履くと、一気に元気になり(ただ足が楽になっただけだけど)、また駅に戻って福島に帰った。
つづく