忘れ物はないね?:2010-05-22

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年05月22日(土)

うわ、またずいぶんサボっちゃった。
飛ぶように日が過ぎます。
ヒマだったかと思えば、いろんなことが一度に来たりして、これって世の中の人大体みんなそうだっていうけど、一人一人の配分は結局偏ったまま、人がそれぞれの周期がちがうことでバランスとってるんだろうか?世の中は。

私は4月の黄金週間突入あたりからバタバタしはじめ、それぞれの返事待ちや直しなどで落ち着かない日々でしたが、その間にも電車で具合悪くなって知らない駅で途中下車したり、大事なイベントの日にちを1日まちがえたり、数年前から約束してたフレンチのお店へようやく行けたりしました。
とくに印象に残った出来事といえば、某イベントのゲネプロを見学させていただくはずだったのに、日にちをまちがえてしまったことでしょうか。翌日の本番当日の公演がすべて終わってみなさんが搬出をされてるときに鼻歌まじりで会場入りしてしまった時の衝撃と脱力感は筆舌に尽くしがたいものがありました。
もちろんステージのものは一点の名残もなくすべてが撤収されており、「サザエか!」というまるで的確なツッコミを真正面から入れていただき、プロデューサー各氏はもちろん、はじめてお会いする大勢のスタッフの方々にも、とにかくその場にいらした全員に大爆笑されながら、なんかショックで頭がぼーっとしてしまいました。
お誘いくださったみなさまには本当に申し訳なく、せっかくのステージを観る事ができなかった自分の情けなさといったらありません。
昔、私のライヴを父が観に来てくれるというのに、母が日にちを1日まちがえてチケットを買ったせいで、父は知らない人が出演する前日のステージを、ハテナマークを出しっ放しのまま最後まで観て、お店の人にたずね、ようやくまちがいに気がついた、というネタのようなことがありましたが(母については他にも山ほど伝説がある)、それをネタにして笑っていた自分にまさか同じことが起きるとは、しかも後にズレてまちがったので取り返しがつかない(父は翌日の私のライヴにも来てくれた。)という点では母よりタチが悪いなどとはユメにも思いませんでした。
人生、したい時にするのも勉強、するつもりなかったのに、ふいにすることになるのも勉強です。後者のほうがより自分に強く教訓として叩き込まれますねえ。「日にちは死ぬほど確認!(レベル低!)思い込み禁止!(低!)」

[link:1229] 2010年06月06日(日) 01:26

2003年6月16日までの日記


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