『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1228] 2010年05月22日(土) 19:12
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[link:1224] 2010年04月04日(日) 02:09
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まずはうどんを食べようとホテルで教えてもらったうどん屋さんの住所をナビに入力し、勇んで出かけたけれども、ナビはどうしても神社の境内に入らせようとする(鳥居があってその先はどうしても神社)。
まさか神社の境内にうどん屋さんはないだろうと思いつつ、よく、香川の讃岐うどん屋さんは「思いもよらないところに普通の民家のようにあったりする」とか噂に聞くので、神社の境内にあるのかもしれない、と思えてきて、車でどんどん鳥居をくぐって入っていってみた。
が、うどん屋さんらしきものはなく、敷地を通り抜け、一本道の住宅街に入ってしまった。うどん屋さんはない。ナビは都合が悪くなったのか、すでに黙っている。
しかたがないので、結局コンビニでヒトに聞く、というとてもアナログな方法で、案内も、「あ、この道をこっちに行って、もうそこの電信柱のところをすぎてちょっと行くと左にあります」というまったく数値や機械にたよったものが一切ない方式で無事に辿り着く。ナビ、全然まちがってるし!黙ってるし!ごめん、の一言ぐらい言わんかい。
しかしながら、辿り着いたうどん屋さんのうどんはとてもおいしく、私の食べた正統派ぶっかけは冷たい分うどんのコシも半端じゃなくて、それはまさに、昔、讃岐うどんを食べた友人が「まるでマリリン・モンローのようだ」と口走ったごとくだった。
さてうどんで腹ごしらえをして、一路観音寺へ。観音寺は大林宣彦監督の映画で町が出て来て、ぜったい行ってみたいと思っていた。
特になんにもなくてもいいのだ、町が見られれば。と思っていた。
果たして、ビューンと辿り着いた観音寺。
あれ、ほんと?ほんとにここまでなんにもないんだ?覚悟してたし予測もしてたけど、私が見たかったあたりの景色なんかも、ガンガン普通のキレイな道路や町並みになっているのであった。したがって、景色そのものは地方の町の特に古くも近代的でもなく、特におしゃれでも特に味わいのあるわけでもないとても平均的な感じ。しかもヒトとかほとんど歩いてないし、商店街の店も6割閉まってる。ひょっとしてみんな水曜日休み?
おまけに困ったことに車を止めるようなパーキングというものがひとつもない。駅にとまっていたタクシーの運転手さん方に「このへんに車をとめて散歩したいんですが、どこか駐車場的なものはないでしょうか?」と尋ねると、「え?散歩?どこを?」と数人が同時におっしゃる。「え、このへんを」と答えると、「このへんを?ふうん、散歩でどこをね?」と怪訝な顔をされ、さらに「駐車場はないねえ。イオンに停めて、なんか買い物してついでに散歩すればいい。そこしかないから。」と断言される。
ので、言われたとおりイオンの駐車場へ停めてウロッとしたのだけど、町は前述のとおり。商店街に一軒開けていた手芸屋さんでデッドストックのボタンと「にせキャラキーホルダー」を発掘して、古本屋さんで「伊予三島のくらし」という地元の子供が作った研究誌を買って散歩終了。結局、お茶も飲めず、イオンに戻ってお惣菜売り場で「たこの唐揚げ」を買い、自動販売機でお茶を買う。が、このたこから揚げが大正解で、すごくおいしかった。
旅ってものはまさにこういうことで、期待して行ったことは意外とそのとおりにはならないで、まったく思いも寄らなかったイイコトが横からピョーンと飛び込んでくるんである。観音寺のこともそうで、私はこのことを一生忘れない。来てみなければ、私の中の「行きたいとこリスト」にいつまでも観音寺が残ったままになってしまうから、ほんとに来てよかった。さらば、観音寺。「たこ唐あげと変な黒ネコキーホルダー」の町!