『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
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それから、爪と身の間が割れた時も。
あれやこれやと私は指にしょっちゅう「ヨーチン」を塗っている。
こんなに「痛い」ことが苦手な私だけれども、傷に関しては、断然「ヨーチン」派である。
ヨーチンすなわち「ヨードチンキ」はやさしい「赤チン」や「オキシドール」とは異なり、とにかく沁みて痛い。
しかし、痛ければ痛いほど「ああ、傷のばい菌が退治されていく...私の傷が治っていく....」という気がしてくるから不思議だ(そんなことない?)。反対にいうと、沁みないと治る気がしない、という思考回路になってしまっていることも確かであるけども。
とにもかくにも、そういうわけで私は今日も「ヨーチン」を塗る。ピアノを強く弾きすぎて爪と身の間が割れてチョー痛いところにも、ちゃんとチューン!と沁みてウリャー!となるまで塗るのである。しかし不思議とヨーチンがすごく沁みるのは最初の日と翌日ぐらいで、あとはなんだかぐんぐん治っているのだからそれもまた頼もしい。切り傷などだけでなく、打ち身やねんざにもヨーチンを塗る。広範囲に真黄色になって、ちょっと恥ずかしいが、翌日には熱がとれる。ヨーチンさえあればほぼオッケーと思っている。
でも、かといって、私が痛みに強いというわけではぜんぜんなく、むしろ、めちゃくちゃ痛がりで恐がりなのです。
ということは、「沁みて痛ければ治る」というのもすべて思い込みなのでは?とも思ったりしますが、病は気から、という言葉もあることですし、今のところ、それでよいのです。