『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1212] 2010年02月14日(日) 23:47
[link:1211] 2010年02月13日(土) 23:54
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[link:1209] 2010年02月01日(月) 23:17
[link:1208] 2010年01月31日(日) 19:51
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お忙しい季節とは存じますが、どうぞみなさまご予定を空けておいてね〜!
よろしくおねがいします!
久しぶりに梶井基次郎を読み返す。
そのときそのときで自分が好きだったりすごくよかったと思うものはいくらでもあるけれど、自分がこういう現在に至るのに決定的な衝撃や強い影響を与えた音楽や本のことをわざわざ書くのはなんだか恥ずかしいし勇気がいるので、あんまりこういうところに書いたりしない。
けども、およそ20年ほど前に読んだ梶井基次郎の「城のある町にて」という短編がそのうちのひとつだというのはまちがいない。
たいへんに乱暴にピンポイントで書いているけど、宇野誠一郎による「ムーミン谷のうた」もまちがいない。全体にもやっと謎な感じで、明るいところにいると思っていたらいつのまにか空が曇っていて少し寂しい感じがしたり、悲しかったはずなのに知らないうちに七色の虹がかかっていて心が軽やかになっていたりする、まるでマジックのようなこの音楽の感じは一体なんだろう?と心がざわざわするのは、はじめて買ってもらったLPを聴いた5歳の時と変わらない。
はじめてそれに触れた時の感覚と、今もそれに触れると感じる感覚が同じである、というのは、ある側面においてまったく私が成長していない、ということにもなるかもしれないのでそれはそれでどうかと思うけど、他のものでは、あの時はものすごく好きだ、と思っていたけど、年を経て触れると、今は別の感じがするというものもたくさんあるから、最初から今まで受け止める方の感じ方が変わらないほどのものを残した発信側がスゴイのだ、としか言いようが無いと思う。
空から降ってきて、肩や足元にふと乗ってはたちまちしゅっと沁みてしまうのに、いつまでもその形が見えるような気がする、雪のようだ。