『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
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[link:1213] 2010年02月18日(木) 02:32
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初江ぐちの時、本に登場する店や人物がまったく本に描かれてるような佇まいでそこでリアルにラーメンを作ったり動いたりしてて、その本に出てくるラーメンが出て来たことが本当に衝撃だった。そして本に出てくる通り、ラーメンはハズレだったことも当たりだったこともある。
そして何より、東京へ来たばかりの頃、久住さんの「近くへ行きたい。秘境としての近所--舞台は"江ぐち"というラーメン屋。」を読まなかったら、久住さんともこんなふうに一緒に演奏したり歌ったりできてなかったわけで、そういう意味では江ぐちは私にとってもとても大事な存在なのだけど、それは、閉店したって変わらない。
もちろん江ぐちはリアルで楽しんでこそ、とわかってるし、できれば、リアル江ぐちをずっと見ていきたいんだけど、これからも心の灯(大げさ)として私にとっての江ぐちはあるのだな、と今更のように確認しながら、今、遠くから江ぐちにお礼を言っている。
またいろいろなことが好転して、もしかしていつか江ぐちが復活してくれたらいいなあとすごくすごく思っている。
かといって、万一好転しすぎてチェーン店展開とかになって「江ぐち環七店」とかになってもイヤなんだけど。
......でもいいか、復活するなら環七店でも目黒店でも。ジャズとか流れてても。あの「振りかける粉」がある限り、江ぐちならきっとそこでも絶対に、妙なオシャレには太刀打ちできない変テコで、スバラシイドラマがあるに違いないと思う。
アリガトウ江ぐち、そしてガンバレ江ぐち。