忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

HOME

2010年01月20日(水)

唐突だけれども、私はロゴとか文字が書いてあるぬいぐるみが好きではない。
まったくシロウトの、個人的な好き嫌いによる見解であるけれども、どんなにユルくてかわいいキャラクターでも、服にロゴが入ってたり、首輪やリボンに名前の文字が入ってたりするぬいぐるみには何も心が動かないのに、たいしてかわいくなくても、もっさりと素っ裸で余分な飾りもロゴも文字もなにもないぬいぐるみを見るとなぜか心が動いてしまう。
ぬいぐるみばかりではない。偏った好みであるけれど、私は洋服とかバッグとかその他いろんなものについている『ロゴ』とか書いてある文字があまり好きではない。つまり、ちゃんと「そのロゴが」「そこに」あるということが綿密に計算され、フォントも含めてそれがデザインである場合ならばそうとも限らないし、「マーク」だったら好きなものもたくさんあるけれども、基本的にその本体にロゴや文字が書いてないものが好きなのだ。
洋服もバッグもキッチン用品も靴も便せんも封筒もタオルもぬいぐるみも、ああ、このロゴが入ってなければすごく好きなのに、と思うこともしばしばである。コピーライトとか著作権とかいろいろな事情はあるんだろうけれど、あくまで一人の消費者のデザインの好みのことを話してるのでそれはこの際考えないことにする。

で、先述のぬいぐるみである。
大人になった今、ぬいぐるみというものを買う機会はめったにないのだけど、子供の頃から、たまに衝動的な出会いをして買ってしまうぬいぐるみは、とにかく、ロゴとか文字とかがどこにもかいてなくて、花とか星とかリボンとかキラキラとかいった飾りのついていない『素っ裸に近い』、それでいて、『手触りがアナログっぽいもの』がほとんどで、母によると、たまたま洋服を着ているぬいぐるみだと、その洋服すら脱がせてしまって素っ裸にして持っていたらしい。

私の中の何がそうさせているのかよくわからないけれど、とにかく、そう言われてみれば、大きくなってからも、プレゼントされたもの、自分で衝動買いしたものに限らず、ぬいぐるみとかマスコットとかいうものは、とにかくはがせるロゴははがし、タグというタグを取っているのであった。
そうしてわりと大人になってからたどりついた一つの結論がある。
それは、私が「あ、このぬいぐるみはかわいいなあ!」と思うと、なぜか「SEKIGUCHI」という会社のぬいぐるみであることが多く、実際に持っているのもほとんどが「SEKIGUCHI」のである、ということであった。
といっても、商品は色々あるし、現在のラインナップについてはよくわからないのだけれど、「SEKIGUCHI」のぬいぐるみは、質感やデザインがシンプルで、まさに「本体そのもの」というデザインが多く、例えばミッフィーの服に「miffy」と書いてあったり、リボンや首輪に文字が書いてあったり、キラキラやヒラヒラやハートや星の飾りがついていたりしない(ことが多い)。
つまり「SEKIGUCHI」はとっても私の好みを知っている(いや、一方的な意見だけど)らしい。

で、先日実家に帰って驚いた。
実家には、私が2歳だか3歳だかの頃、おもちゃ売り場へ買い物につれていってもらい、初めて『どうしてもこれを買ってほしい』と大粒の涙をこぼして抱きしめ続け買ってもらった『チャムちゃん』という(ものすごい黒くなってるけど)ピンクの羊のぬいぐるみがタンスにしまってあるのだが、それがなんと『SEKIGUCHI』のものだったことが判明した。
まさに三つ子の魂百までである。あの頃から私は『SEKIGUCHI』だったのだ。
ここまできたら断言してもいい。
きっと私には『SEKIGUCHI』のぬいぐるみを見分けることができるセンサーがついているのだ。『利きSEKIGUCHI』をやったら勝つ自信がある。今度おもちゃ屋さんへ行ったらぜひやってみたい。というか、『SEKIGUCHI』へいつか見学に行ってみたい。


[link:1203] 2010年01月21日(木) 01:33


2010年01月15日(金)

12日まで名古屋に帰っていました。3日間しかいなかったんだけど、今回はちょっと訳あって毎日病院へ行って、その他は実家で家事をする、という用事。でもその合間に30分だけ友達のお店に行き、夜中から朝までTOKUZOに行き、仕事のやりとりもして、その後東京へ帰ってきてすぐ仕事して、録音、という、普段「寝せんべい(寝っころがっておせんべいを食べているヒマなことまたはそういう類いの人、の略)」の私にしては、なんだかものすごくみっちり多忙な数日でありました。

TOKUZOは、自分のライヴができてなくても、名古屋へ帰ったたいていお正月には森田さんといづみちゃんに会いに行くのだけど、去年はぜんぜん行けなくて、ほぼ2年ぶりぐらい。で、終演後に行こうと思ってお店の前まで行くと、まだライヴ中。近くでぶらぶらと時間をつぶして、いつもとは反対側の通りから再度TOKUZOを目指して歩いていると、ちょうど森田さんといづみちゃんと数人の屈強そうな男のヒトたちががやがやと歩いてくるところへ出くわした。
聞けば、これから『今池プロレス』という催しの打ち上げだという。もし私たちがいつものように表通りからTOKUZOへ向かっていたら、TOKUZOには森田さんもいづみちゃんもいなくて、会えずに帰っていたところであった。こんなところで会えたのも何かの導きか、と、まったく関係ない私たちも『今池プロレス』の方々の打ち上げに参加させていただくことに。
かれこれもう15年ぶりぐらいに『味仙』へ行った。味仙はとにかく『酢豚』がおいしい、という記憶があって、15年ぶりにやっぱりその記憶が正しかったことを確認した。
味仙の酢豚は、いわゆる普通の酢豚ではない。ケチャップっぽくて酸っぱいいわゆる酢豚のソースとはまったくちがうのだ。揚げた豚肉に酢を配合したサラッとしたお出汁のようなもの(?)がかかっている。そして、ちょっと甘酸っぱい謎のきゅうりがそえられている。もちろんパイナップルとかはまったく入っていない。タマネギやピーマンは入ってたと思うけど、あまり目立たない。あくまでも『サラっとしたソースのかかった豚肉の揚げたもの』と『添えられたきゅうり』である。そして、とてもおいしいのである。名古屋へ行かれたら、ぜひ『味仙』の酢豚を食べてください。あ、ギョウザもおいしいです。酢豚やギョウザ以外の料理はほとんど『辛い』ので私はあんまり食べたことがないんだけど、おいしいようです。

あ、味仙の話ばかりになっちゃいましたが、おじゃました今池プロレスの方々は、マグナム今池さんを筆頭にとても『すてきなオッチャン&若者』で、プロレスと今池を心から愛していることがよーくわかり、まったく未知の世界ながらすごく楽しくお話しを聞くことができた。中でも、その場にはいらっしゃらなかった『ウルトラマン・ロビン』さんという人のことを、ほんっとうにみんなが敬愛していて、そのロビンさんという人を観てみたくなってしまった。なんでも、一度ロビンさんの試合(?)を観ると、誰もがそのパフォーマンスと人柄に虜になってしまうらしいのだ。そして、そのロビンさんのよさは観る側も年をとったりいろんな経験をして人間的な幅が出てくるにつれて、よりわかるようになり、どんどんロビンさんを好きになってしまうらしい。そんなロビンさんというのは一体どんなヒトなのか。気になる....。

その後、味仙を後にして、TOKUZOに戻り、朝まで森田さんといづみちゃんと久しぶりにがっつり飲んで話すことができた。臼井さんも居たんだけど、途中で眠り出し、いつの間にか帰ってしまった。
森田さんといづみちゃんはベロンベロンだったんだけど、話している内容がすごくよい内容で、ああ、今日ここへ来れてよかったなあ、と思った。森田さんの考える、TOKUZOのこうあろうとする形、の話はほんとうにグッとくる。森田さん的には(というかTOKUZO的には)できた当時といろいろ変わってきていることもあると思うけど、この森田さんの掲げる一番コアの部分はできた時からまったくブレてないと思う。少なくとも私が森田さんと始めて話したほぼ10年くらいは前(だったと思う)からブレてない。
それから、『人に何かを任せられる』ということについての話もたいそう心に沁みて、うーん、まだまだシュギョーが足りんなあ、と我が身を省みたひと時だった。

エコの話もそうで、突き詰めれば、地球に一番エコじゃないのは人間が存在してることなんだからなあ....と私の中で日頃もやもやと堂々巡りで考えていることも一刀両断してた。まあこの話はわざわざ書くことでもないので割愛しますが、そういういろんなことを話して、面白かった。そして、もうひとつ、TOKUZOのいづみちゃんはほんとうに愛すべきヒトだ、ということも大体この場で毎年のように確認するのだけど、今回もそうであった。実家に帰る、とか親に会う、とか友達に会う、とか、そういうものとはまた別のナニカ強い魔法のような力で、いづみちゃんに会って話すと私はものすごく『あー名古屋に帰って来た』感が200%ぐらいになるんであった。その4割はいづみちゃんの操る名古屋弁のせいもあると思うけども、あとの6割は人柄である。
そんな大好きなTOKUZOで、今年はライヴします。まだまだちょっと先だけど。

[link:1202] 2010年01月20日(水) 00:20


2010年01月07日(木)

先日、『カールじいさんの空飛ぶ家』を3Dで観た。
3Dは初めてで、面白かったけど、わりと想像どおり。3Dの効果として面白かったのは、カールじいさん本編の直前にやったショートムービーみたいなやつのほうが面白かった。
雲のわふわふ感とか空の様子とか。
3Dはさておき、カールじいさんは、すごくよくて、面白かったんだけど、物語が、というよりも、初っ端から物語の本題に入るまでの、すごいスピードでそこまでのことが綴られるシーンでずっとうるうる泣きっぱなし。
私はなぜか、『その人やモノやコトが歩んだ道、とか軌跡、とか人生、とかそういうものがめくるめくスピードでフラッシュバック(までいかなくても)する』というシーンには無条件に弱くて、そういうのに遭遇すると途端に泣いてしまうようだ。なぜだろう。
まあ疑問は疑問でおいておいて、ともかく、まるで人は泣いてないような導入部分からずっと泣きっぱなしで、物語はもちろん面白かったけど、最後のほうはわりと涙がかわいて楽しんで観れた、という感じだった。

で、映画の帰り、とある雑貨店に立寄り、偶然かわいいソックスを見つけたので、大して値段も見ず、色違いを2足買うと、レジで『6400円になります。』とサラッと言われた。高っ!
えー、そんなに高かったんなら先に言っておくれよ(というか値段見なさい)。だって、高い洋服屋さんじゃないし(雑貨屋さんだし)、そんな高いと思わないじゃん!
なら1足にしといたのに、しかし、1足やめます、と言えなかった小心者の私....。

でもいいの。かわいいからいいの。穴あいても繕ってはくから。
しかし、こんな色とりどりのソックスを買ったのは何年ぶりかしら。

それはそうと私、ソックスを洗濯して干す時に、2足ずつハンガーにかけるんだけど、どうしても2足の色とか柄とか質感の組み合わせがマッチしてないと気がすまない。その時々で、これはどれとも合わない、っていうやつもあって(そういうのは1足で干す)、これはその、結構組み合わせを選ぶタイプだなあ。色は色々合うのもありそう。

1201.jpg 240×400 (original size)

[link:1201] 2010年01月15日(金) 18:58


2010年01月05日(火)

柴又の帝釈天へ行ってきました。
三門や本堂の彫刻、やっぱりすごい。
無事お参りをして、おみくじ.....。
おみくじはたいてい初詣の時しかひかないんだけど、去年は凶で、しかもおみくじを引き出しから出してくれる時に2枚重なったままだったらしくまったく同じ『凶』を2枚もらちゃって、お正月早々ブルーになったんだった。
で、今年こそ.....と、列に並ぶ。するとすぐ前のおばさまの番号が見えてしまう。ちがうのを出そうと思って振ったんだけど、混ざってなかったのね....
果たして......がーん。今年も凶でした。
うーん、きっと去年は凶だったけど、にもかかわらず能天気によい年を過ごすことができたから、そのまま調子に乗らないように、ということでしょうか。
はーい。うっかり調子に乗りません。『無事』ってことに感謝します。精進、します。
ということで、今年もがんばっていきます。


1200.jpg 640×480 (original size)

[link:1200] 2010年01月07日(木) 00:47


2010年01月01日(金)

あけましておめでとうございます。

うっかりブリ大根(大根が大量にあったため。お節とかとはまったく関係なし。)を作っている間に明けてしまいました。

毎年、計画ってものを立てない私ですが、今年も楽しい音楽を作っていきたいです。そして、なんとかそれらをまとめて盛ったお皿のようなもの(あー、遠回しだ...去年は実現できなくかったので言いにくい)を作りたい。ほんとに。

みなさまどうぞどうぞ今年もよろしくお願いいたします。



[link:1199] 2010年01月05日(火) 17:49

2003年6月16日までの日記


Copyright©2001-2003 Chiaki Kato, All rights reserved.
Contact Us
Do you know DonutFilms?

k-diary script by Office K.

※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。