忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2009年12月18日(金)

ここ2〜3日、寒いっ!
この時期、デニムにブーツでなくバレエシューズを履く時、どうすればいいのか。暖かいシーズンは素足かすっごいちいさいフットカバーですんでたのが、もっさりソックスを履くのはいやだし、かといって、生足部分が多いのは寒すぎる。が、デニムの下にタイツやストッキングを履くのもいや。
悩むなあ(どうでもいいけど)。

早川司寿乃原画展を見に神楽坂へ。
神楽坂の路地裏の、帽子屋さんや、ちいさい飲み屋さんやビストロ、公園なんかを通って、たどりついた「日本茶 茜や」さん。
すごいいいところです。店主の柳本あかねさんは装丁などのお仕事をされてて、今回のしずちゃんの本の装丁をされてる。こういう人がこういうお店に暮らしながらしずちゃんとつながって、しずちゃんの絵がこういう場所にひっそり飾られている、というのがものすごーくつじつまがあい、心地よく、うれしくなる。またお茶をいただきにおじゃましたい。
そして、飾られていたしずちゃんの原画。どれもこれもすばらしい。
もうむかーしむかーし、名古屋にいた頃はよくしずちゃんのお家に遊びに行っていたから、描きかけでデスクにのっかっている原画とかも見たことあるけど、こうして改めてみると何だ!この線は!とびっくりして感動する。あの線はほんとうに何事か。しずちゃんの、あのどこにでもありそうでどこにもない景色や町のすべては、紛れもなくこの線によって生まれているのだ。一つ一つがびっくりするほど正確に精密に描かれているのに、不思議とものすごくのんきな感じで存在していて、なんだかあり得ないぐらい非日常のような感じもする。こんなに日常なのに、こんなに日常ではない感じがする景色ってなんだろうか。こんな景色を描けるしずちゃんはほんとうにすごい人です(←アホみたいな感想でごめんなさい)。
しずちゃんの原画を見た事ない人はぜったい一度見たほうがいいです。明けて本日19日までですが....。


で、夜は日頃お世話になっている方々の忘年会にお招きいただいて、代官山で楽しいごちそうの会。すっかりごちそうになり感激。どうもありがとうございました。
代官山も、神楽坂も、ふるーい普通のお家とオッサレーな隠れ家的ショップが混在している路地裏が醍醐味。
ひっきりなしに犬が吠えてたりするのも面白い。忘年会では、仕事中にはなかなかおしゃべりできないような方たちともいろいろお話しできて、なんか素顔をのぞけたり、反対に自分も日頃はわりとひた隠しにしているような姿が意外とバレてる、ってことがわかったりして、面白い。
お話ししてるうちに、やっぱり偶然つながってたり、いろんなご縁が生まれるのも楽しい。いろんな人と船に乗り合わせながら進んで行けるって、つくづくうれしいです。船は行く行く、です。


[link:1193] 2009年12月20日(日) 15:06


2009年12月20日(日)

昨日はスズナリで流山児★事務所の公演『田園に死す』を観た。
あまりにも有名な寺山修司作品を天野天街の脚本・構成・演出で、ということで、どういうことになってるのか楽しみにしていた。
果たして、予想はしてたけど、もう、完全に天野作品だった。でもちゃんと寺山修司のエスプリっていうのか(フランス語でなく、難しくなくこの感じを表現する言葉はないかしら)そういうのはずっとその天野時空に横たわってて、それでいて体感は完全に天野さんの作品、というのがすばらしかった。
まだ公演中なので、具体的に書くのはやめますが、観てるうち、途中から「その感覚」が実際に舞台に表現されている、それを観ている自分、という「感じ」がこわくなってきて、気持ち悪くなった(←ホメ言葉です)。最後のほう鳥肌がたってしかたがなかったし。平太郎化物日記の時にも特にひしひしと感じたことではあるけど、これは芝居っていうか、やっぱり体感型アトラクション(なんだろう?この薄っぺらな言い方しか思いつかない自分が情けないが)なんだな、って改めて認識した。脚本が、とか、役者さんが、とか、演技が、とか、構成が、美術が、とか、いい芝居、とかそういうことではなくて(いえ実際にはそれらの集合なんだけど)。天野さんが少年王者舘で、昔からやろうとしていることはそもそもそういうことだと思うんだけど、それが回を重ねるごとにすごいことになってると思う。
二足歩行になるまで長くかかったロボットの開発が、二足歩行が可能になったと思ったら次々いろんなことがどんどん可能になってスゴイとこまできてる、みたいな。
って、思いつつ、でも現実にはこれは芝居だから、そこがすごい。
って、なんのことかぜんぜんわかんない感想になっちゃいましたが、ともかくスゴイとこ行ってます。
寺山修司かあ....って人も、寺山修司とか知らない、という人も(これを観ても寺山修司の検証や勉強にはまったくなりませんが)ぜひ観てみてください。23日まで。

[link:1194] 2009年12月24日(木) 01:56


2009年12月24日(木)

いろいろなところで宴会やパーティーがあったりする季節。
あちらこちらでおいしいごちそうをいただく機会も多いのですが、それが立食バイキング形式だった場合、中にはちょっと謎の料理があって、話題を呼ぶことが。
〆サバの隣に、クレープ?でもこのソースはどう見ても酢みそ...?と思ったらサーモンがクレープに巻かれたものでソースが甘い、というものであったり、そのお隣の、完全に全員がストロベリームースだと思っていたものはまったくスイーツではない「何か」だったり、面白いです。

そんな中、実家の母がダンボールにいろいろを詰め込んだ宅急便を送ってくれました。
空けてみると、北海道名物『ROYCE'』の箱が!狂喜乱舞して箱を空けると中からお漬け物が出てくる。がーーーーん。
そして、隣に六花亭のストロベリーチョコレートの箱があって、これも喜んで冷蔵庫にしまい、さて食べようとパカッと空けると中には天津甘栗がぎっしり。
おかーーーーさーーーーん。
お漬け物も天津甘栗も大好きだからすごくうれしいけど、なんでー。

なぜ「おかあさん」という人はこれほどまでに箱の再利用をするのでしょう。
かれこれ10年前ぐらい前の初夏、母から送られてきた荷物に唐突に6Pチーズ(あの丸いケースのね)が一箱入っており、『もうおかあさん、この時期にチーズなんて常温の荷物に入れたらヤバイでしょー!』とつぶやきつつ、すぐさま冷蔵庫へしまい、数日して、食べようと、あの丸い箱をあけたら中身が蚊取り線香(母的には少量パックのつもり)だったことがある。
母からの荷物はうれしいが、若干注意が必要。
でもおかあさん、ありがとう。


[link:1195] 2009年12月27日(日) 01:06


2009年12月27日(日)

例年どおり、クリスマスは特に何ということもなく(←でもバッグは買った。)過ぎ、25日は青山さんのライヴをMANDA-LA2で観戦。BM'sの演奏も脂が乗って、勢い、説得力、みなカッコイイ。

そして今日はやっとカーテンの洗濯と、散らかり放題の仕事コーナーまわりの片付けに着手する。一昨年あたり、資料と楽器と本と洋服その他ガラクタで飽和状態になり、仕事ができなくなった仕事部屋を出て、リビングの一角にほんの束の間、間借りするつもりで設置した仕事コーナーがどんどんふくれあがり、今、我が家ではMacの隣(同じテーブル上)でごはんを食べている。
ものでいっぱいになってしまった旧仕事部屋は現在、保管部屋として活躍(?)している。
で、現在のこの仕事コーナーにあふれたものをスッキリさせるには、@捨てる、A保管部屋へ保管する、のどちらかしかないので、とりあえず、捨てるものは捨てた。が、意外と減らない。なので、保管部屋のものを更に捨てて、そこへこちらもものを保管する、という二度手間な感じのことをやりはじめたわけだが、保管部屋のほうは一度大片付けをやって、捨てられるものは捨てているので、もうどうにも、捨てるものはないのだ。
そうこうしているうちに、昔のネタ帳とか、ドロップ横丁やライラックアパート一○三を作った当時のいろいろが書かれたノートなんかも出て来て、ふむふむ、なんて、ぜんぜん片付けにならん!
結局、ゴミ袋2袋分のゴミなどが出たが、見た目はまったく変わっていない。
本やファイルなんかは、もうどの棚にも1mmの隙間もないので、そもそも収まらないに決まっているのだ。なのでこれを片付けるには棚を買うしかないが、その本棚はどこへ?
堂々巡りに突入して、激しく消耗してしまい、今日のところはひとまず中断することにする。
年が越せるのでしょうか....。



[link:1196] 2009年12月28日(月) 23:11


2009年12月28日(月)

大掃除。
今年もいろんな人、いろんな場所、いろんな物にお世話になった。
最近では、人が聞いたら「えー!いまさらー?」と怒りに狂うような(自分でも、えー?いまさらー?と思う)、あまりに有名すぎてうっかりしてたけど、ビートルズのサージェントペパーズってすごいアルバムなんだね!と今更ながらにその素晴らしさを確認したり(←確かに遅すぎると思うが、何事も、気付くのに遅すぎるということはない、と信じたい。)、あまり人にはわかってもらえないかもしれないもの(まあ古いジュータンね。椅子の下に敷く。)にわりと大金をはたいてしまったり。
20年近く前に、当時のピアノの恩師と2台のピアノで弾いたミヨーのスカラムーシュを改めて聴き、その当時のまるでなにもわかってなかった自分の青さに愕然(←いや...いまも相当わかってないと思うけど)。
あと、ほかにも、これまた有名すぎるボブ・ディランですが、こないだのクリスマスアルバムもなんとも素晴らしかった。私は、ボブ・ディランは、一番はじめの出会いが本人が歌うものではなくて、The Byrdsがカヴァーしたやつだった。20年近く前に、当時、うちの近くに変てこな本屋さんなのか雑貨屋さんなのかよくわからないお店ができて(それが今や全国区のヴィレッジ・ヴァンガードの最初のお店。本社は今もそこ。)、しょっちゅう行ってたんだけど、そこでかかっていたのがThe ByrdsのBob Dylanのカヴァーアルバムで、お店で一瞬聴いてショックをうけて即行買って帰ったんだけど、本当のBob Dylanが歌うのを聴くのはそれからまだしばらく後で、実はそんなにたくさんは聴いていないけど、今、あのアルバムを作ったってのがなんかすごく心にくる。

など、目から鱗が落ちるようなこともいろいろあって、つまり、なにも新たな刺激ばかりが人の心を動かすもんでもない、という、むかーしからよくわかってたはずのことを改めて感じたりした。
こういうことをしみじみ思うってのも、年の瀬のせいなのか、年のせいなのか、よくわからないんだけど、よくわかったのは、今までスルーしてたこととか、ピンとこなかったものが、突然自分にしっくりくる時が、一番いい時なんだってことでした。それについて、早くから自分なりに理解して吸い込んでしまうこともあるけど、早くに知ってたり、存在は認識していても、その時には気付いてなかったり、自分には入ってきてないことってすごいあるんだなーと。
そう考えると、なんだか自分がものすごくなにかの一部分を知っているだけの知ったかぶりで今を生きてしまってるような気もする。でも、その時点でそう感じたり、そこしか気がつかなかったり、っていうのもひとつの通過点だから、それは当然のことで、それを繰り返して行くんだなあ、と。
これからも、うんと色々を味わおう。

[link:1197] 2009年12月30日(水) 14:28

2003年6月16日までの日記


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