『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1142] 2009年08月17日(月) 00:19
こっちの近いほうA店は、規模はいわゆる町の本屋さん的。そんなに品揃えは豊富ではないんだけど、店主のおっちゃんは自分の店に置いている本は文庫、単行本、マンガ、こども、などすべてのジャンルに渡って把握している。
おっちゃんが苦手なマンガの分野は、私が勝手に『アラレちゃん』と呼んでいるアラレちゃん眼鏡(今はもうちがう眼鏡だが)の女史が取り仕切っている。で、自分で見つからない本は聞くとすぐにおっちゃんまたはアラレちゃんが『はいはい』と棚から見つけて出してくれる。しかも、その作者のものをほかにも読みたいと思って、ほかにはないですか?というと、その時なくても、次からさりげなく入れておいてくれるのである。
時間はかかるが、ああ、店をやるからにはこうありたいもんだ、と思うお店である。
かたや、それに比べれば若干大きく(といってもそんなでもない)で、置いている本も豊富で一見マニアック風(そうに見えてぜんぜんそんなでもない)な品揃えのB店。趣味やマンガのコーナーを広げて、レジまで別にもうけているのに、店員がまったくハナシにならない。作者も題名もわかってる(しかもそんなマニアなものじゃない)のに、探しにいって棚の前を一度ウロッとして、『ちょっとわかりません。掲載の雑誌は?それか、出版社は?』って、そんなに探すのにとっかかりにくいほど棚あらへんやん!せめて、私が探したぐらいは探しらんかい!と思ったけど、めんどくさいので速攻で店を出る。
で、家にて。
PCだと品揃えもスピードも、そのほかの検索も比べ物にならないほどすごい。
でも、なんでもかんでもPCに頼るってのはなんかどうもなんだかな、って思うけど、便利ですなあ、ポチっとやればすぐ来ちゃうってのは。
そういうのがあるから、お店でなんにも詳しくない店員がいても世の中的にはなんにもモンダイなくなっちゃうんだよね、これが。
なんだかな〜。