『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1130] 2009年07月08日(水) 22:56
すみません。
たいていライヴ前はこんな感じですが、そういう時に限って普段はあんまりかかってこないセールスの電話とか、セールの案内とか、いろいろあったり、レーゾーコの冷凍室が開けるたびに鍾乳洞みたいになってて、氷山が降って来たりするので大変である。レーゾーコは去年からもう鍾乳洞が発育するようになってしまって、一度大掃除で冷凍庫の棚を出した向こうの壁面にドライバーで穴をあけてしまって、それをガムテープで塞いだままにしてある2009年夏、である。
うちはなんたっていまだにブラウン管のテレビだし(ブラウン管のほうが色がすき)、レーゾーコも鍾乳洞だし、洗濯機もかれこれ10年なので、来年あたりみんなで示し合わせて一度に壊れたりなんかすると大変だ。なので、ひとりひとりを大事にかわいがって、できるだけ自分がヨボヨボである、ということを気づかせないようにしなくては。(特にテレビには、できれば再来年になっても世の中が地デジになったってことにも気づかないでいてもらえないだろうか。)少しでも長くはたらいてもらおうとこちらも必死である。当面、いちばんやっかいなのがレーゾーコなんだけど、あの冷凍庫の氷山はほんとに困る。すべてのモノの上に氷の欠片が取り憑いて何がなんだかよくわからない。そして氷を砕き終わったあとは必ず脇からショロ〜っと解けた氷の水が漏れて来る。ああ....。
流氷は毎年少なくなって、ガリンコ号の出番も減ってるのに、こうして凍らなくてもよいところに電力を使ってできた大量の氷が発生するのがなんか理不尽、と毎回砕いた大量の氷が入った洗面器を見ながら思う夜であった。
あ、ライヴのご予約承っております。そちらもドーゾよろしくお願いします。