『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1123] 2009年06月17日(水) 02:15
比喩ではなくて、本当にかゆいところに手が届かないのであった。
厳密には、『届かない』というのともちょっと違って、『かゆいところがわからない』。
左肩あたりがフとかゆかった。それで、そこをポリポリと掻いたのだけど、なんか本当にかゆいのはそこじゃない感じがする。で、その近辺をポリポリポリ、とやったんだけど、どうもドンピシャのかゆい場所掻けていない。つまり、かゆいところが掻けた時の『ああ!いいきもち〜!』というのがない。
しかし明らかに左肩がかゆいのだ。
ちょっとォ!ほんとにかゆいのはドコなのよ?!
ココ?....あれ、ココ?こっち?
結局、左肩周辺をポリポリ、ポリポリ?...ポリ?....ポリポリポリ??とやったが、満足感が得られぬままかゆみがぼんやりしてきておさまってしまった。
これって、なんでしょう?
脳のせいですか......?
脳が『かゆいのはココだよ』っていうのをまちがえて私に(?)伝えてるのか?
または、かゆい場所は私が掻いたところで合ってるんだけど、そこを掻いたときの満足感の信号が脳に『満足』として伝わってないのか?
とかって考えていくと、『かゆい』て何?とか、『かゆいのを掻くと気持ちいい』ってどういうこと?とか考えてしまって、あらためて脳の不思議っていうかカラダの不思議っていうか、感覚の不思議っていうか、ワタシって何?って思ってしまうのです。
おもしろいですね。