忘れ物はないね?:2009-03-24

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2009年03月24日(火)

お友達と、あいまいな約束をした。
『終わったら電話するから、大体○時頃にドコソコの近辺ね。』という、一昔前ならあり得ない約束の仕方が当たり前になっちゃった今日この頃。
それが今日は、そもそも私が大体の時間に遅れてしまって、電話をしてもしてもメールをしてもしても、そのお友達に連絡がつかない。途中から、うっすら『これは、ケイタイ忘れて出たな。』と思い、その友達が暗記している電話番号はどこだろう?と推理し始めるが、まさかご実家にかけるのも憚られ、仕事中の人はだめだし...となす術無し。
仕方なく友達のお家の留守電に力なく『え〜〜〜と、○時○分ごろにドコドコの前にいるので、この留守電聞いたら来てください』と入れてみたり(しかし今思えば私のケイタイ番号を録音するべきだった)、とはいっても、外から家電話を操作して留守電を聞くことのできる女子の割合は極めて低いと絶望したり、ぼんやり告げてあった行き先の店員さんに伝言を確認してみたりしたものの、結局友達が家に帰るまで連絡はとれませんでした。
こういうことって、明日は自分がやらかさないとも限らないし、相手は相手で考えつく限りのことはやってるわけなので、もちろん友達を責めるとかそういう気はまったく起きないんですが、それよりも、かえってそういう緊急事態をなんとか乗り切れるように、ちゃんと身近な人の電話番号ぐらいは手帳に書いておこう、とか、家の電話の留守電を外から聞けるように練習?しておこう、とか、いろいろ考えることができてよかった。
携帯電話なんかなかったころは、駅に伝言板とかがちゃんと機能してたものなあ。
あれ、いいシステムでしたね、なんか。待ってるほうも待たせるほうも。
携帯電話があるってことでものすっごく便利だけど、いざ急に無い!って時は、その先の選択肢が多すぎて困ってしまいます。
電話の通じない海外の空港で、別々の場所から別々の便で到着する友達と待ち合わせをして、その日の夜、別の便に乗らなければいけなかった時は、何時にどこ、万一そこで会えなかったら次は何時にどこ、というのを第一段階から第五段階まで作ったんだったなあ、というのを思い出したり。



[link:1091] 2009年03月27日(金) 23:22

2003年6月16日までの日記


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