『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1060] 2008年12月21日(日) 02:07
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なぜ師走はこんなに進みが早いのでしょう。
忘年会などは日頃お世話になっていながら、お話しするチャンスがなかなかない方々ともお会いできてうれしい。
さてそんな忙しい年の瀬、うちの『ネジ巻き柱時計ちゃん』がへそを曲げた。
この柱時計は祖母の家から私がもらってきたもので、私がもらってからかれこれ20年、その前に祖母の家で動いていた年数も含めると、もう30年以上、いつも休まずにカチコチ動いてくれている。しかし、1年に2〜3回、どうやっても振り子が止まってしまってネジを巻いても何をしても動かなくなってしまうことがある。
しかしこれまでは、そんな時、別の時計を持ってきたり、『本当にもう動いてくれなかったら困っちゃうんだからね。あなただけが頼りなの。お願い、お願い』となでなでしたりすると、なぜか突然動き出してくれ、現在に至っているのだ。
そのへその曲げ方、機嫌の直り方はもう完全に『すねている』としか思えない。
そして、昨夜は史上最高のへその曲げ方であった。何があったか知らないが、帰ったら止まっていて(ネジは巻いてある)、何度振り子を動かしても、なだめてもすかしてもダメ。5時間ほどつきっきりであれこれやったが、振り子は3分ほど揺れるとピタッと止まってもう動かない。何度やってもそうなので、腹が立っていたのだけれど、考えてみればもうこの時計も30年以上もよくがんばったものだ、動いてくれるほうが奇跡だと思い、急にやさしい気持ちになり、ネットで柱時計の修理をしてくれるところを探し、もうこれでダメならばそこへ持っていこう、でも古いものなので直らないかも知れない。もしそこでダメなら悲しいけどあきらめよう。と思い、最後の最後に振り子を振って、ガラスの扉は開けっ放しにしたまま、『止まるなら止まってもいいよ。』と寝てしまった。
そして今日の朝、目が覚めるとリビングから時計の音が聴こえている。急いで見に行くと、振り子のところのガラス扉は昨日のまま開きっぱなしで、振り子はコチ、コチ、コチ、コチ、と動いているのでありました。
時計ちゃんほんとにありがとう。でもそろそろちゃんとオーバーホールをしてあげないといけないだろうなあ。