『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1052] 2008年11月16日(日) 17:57
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[link:1049] 2008年11月02日(日) 02:10
[link:1048] 2008年10月29日(水) 23:39
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蚊騒動の数日後、用事で実家へ帰っていた日の深夜であった。
そろそろ寝ようとコンタクトをはずした。そして眼鏡をかけようと眼鏡ケースをあけると、ぼや〜っとしている視界の中で『サッ』っと茶色いものが動いた。コンタクトをはずしているのではっきり見えなかったものの、本能的に『アッ!』と思い、思わずふたたび眼鏡ケースを閉めてしまった。
え?なに?見間違い?
でも..................あれは..........!............あの、茶色、あの動き.............、あれはもしや!『アレ』か????
しかし眼鏡はまだケースの中である。
というか、なぜ眼鏡ケース?なぜ、私の眼鏡ケースの中にゴキブリが?そもそも、フタをしめておいてあった眼鏡ケースになぜ『アイツ』が?見間違いであってほしい。が、確認はできない。
頭は真っ白、視界はぼんやり、手元にはフタを閉めた眼鏡ケース。家人の寝静まった洗面台の前で完全にフリーズしてしまった。
とりあえずフタを閉めたものの、さてこれをどうするか。これから何をすればよいのか。えーとえーとえーとえーとえーとえーと..........
えーとえーとえーとえーとえーとえーとえーとえーと......、そうだ!まずコンタクトをもう一度入れよう!というわけで、コンタクトをもう一度入れ、視力はとりあえず確保した。
で、えーとえーと.......そうだ、ジップロックだ、ジップロックに密封してしまおう!と思いつき、ジップロックに眼鏡ケースごと入れて『ピッチリ』と密封。そしてここからが怖いんだけど、眼鏡ケースを袋の外からつかんで隙間をあけてみる。と、ウササササササーと体調約2cmの茶色い『アレ』が走り出てきた。やはり見間違いではなかった!
うわーーーーーっ!いや、落ち着け、落ち着け、ジップロックは密封されてるから大丈夫(でも透明)。とりあえず眼鏡ケースからは追い出したので、次は眼鏡ケース(眼鏡入り)を救出せねば。震える手で、袋の隅に『アレ』を追いつめ、こっちにこないように袋をねじって隔離し、眼鏡ケースを取り出し、すばやく再び『ピッチリ』と密封した。
さあ、これをどうしたもんか。袋が透明なのでとりあえずジップロックごと古新聞に挟んで見えないようにして、空き瓶で『ごめん、ごめん』と半泣きで新聞の上からバンバン叩く(しかしその音にも家族は誰ひとり起きてこない)。
.............しーーーーーん...............。
もう絶対ご臨終だろうと思い、新聞ごと丸めて棒状にした。
しかし!万一息がまだあり、万一ジップロックが破れていたら、夜中のうちに這い出してくる恐れもあると思い、上からさらにガムテープでぐるぐる巻きにする。そして、朝起きてきた母に伝えなければ、と思わず『ゴキブリ殺した』と油性サインペンで殴り書きしてしまう。
しかし書いた後で『ゴキブリを叩くために丸めた新聞だな』と解釈してそれをほどいて古新聞の束に戻すといけない(冷静に考えればそんなことするわけないが)と思い、その横に『死んでる』と書き足す。が、その後すぐにこれだと死体がどこにあるかが不明なので、さらに『この中(字が小さすぎ失敗、もう一度)この中』と書く。
よくサスペンスなんかで、意味不明のダイイングメッセージを解明していくのを見ると『こんな妙に思わせぶりだけど意味不明のことじゃなくて、もっと一目瞭然のことをズバッと書いて死ねばいいのに』と思ったものだが、ゴキブリ一匹でこうなのだから、そりゃあ息も絶え絶えに自分の血かなんかで書き留めるメッセージなんて意味不明になるわけだよ、と身を持って知ることになった。ああ、人とはまさに精神の動物であることよ。
こうして ”ガムテープでぐるぐる巻きの上から『ゴキブリ殺した 死んでる この中 この中』と油性サインペンで殴り書きした棒(長さ40cm、直径約5cmぐらいか)”ができ、やっと一息。ここまでですでに発見から30分ぐらいか。
あとは眼鏡ケースである。『アレ』がうろうろと歩き回ったと思われるので、そのままにするのは気持ちが悪い。まず眼鏡は石けんで洗った。しかし、私の眼鏡ケースはケース自体はプラスティックだけど、内側にもひゃもひゃの布が貼ってあるのだ。しかし、洗うしかあるまい。石けんでごしごし洗って、裏の物干に吊るしておいた。
そして戦いは終わった。
たかが3〜40分ではあったが、長く、孤独な戦いであった。
その後、寝ようとしたのだけど、気持ちが昂ってぜんぜん寝られず、夜は更にふけていったのであった。
さて翌朝、あの『棒』をみた家族は、棒の大きさと、その大げさな形状からその中に数匹ものゴキブリが死んでいる、というこれまた別の恐ろしい解釈をしたようで、そんなにたくさんのゴキブリが出たことは未だかつてないので、どこからきたのか!と、ちょっとした騒動になっていた。そして、それとは別に眼鏡ケースをみて母は『あの子は大雑把でズボラで(おいおい)眼鏡を拭いてる姿すらろくに見たことない(そんなことはない)のに、実家に帰ってきてまで夜中にこっそり眼鏡ケースを洗うなんてどうかしちゃったのではないか、いつのまにそんな几帳面になったのか、それとも急に潔癖症になるほど何か大変な心境の変化があったか、よっぽどストレスが溜まってるんだろうか......』と本気で心配したそうで、そのあたりはちょっとイイ話というか、お母さんありがとう、というお話であったのだが、母の中の私像を明確につきつけられ、軽い衝撃を受けた瞬間でもありました。
写真は17歳のこりんちゃん。写真きらい〜、の瞬間。