『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1035] 2008年09月27日(土) 03:48
先日、上野さんのライヴで、上野さんが長年おうちでの練習用に愛用されている三味線の目の前で、別の三味線をかわいがったら、その長年おうちでの練習を共にしていたほうの三味線の皮が突然割けた、モノにはぜったい意思があるよね。とお話ししておられた。
そのお話を、『うんうん、そうだそうだ、うちの古い柱時計も時おりスネる時があって、そんな時は決まって何か別の時計をあてにしたり、冷たく放っておいたりした時だものなあ。』と心の中で深くうなづいていたのだが、昨日今日と、「まるでそれをせせら笑うかのような冷蔵庫」のシモベと化した私でした。「こちらがかまってあげなかったからスネた」とかいうかわいいレベルではない。冷蔵庫を買ってから8年間、触れたことのなかった未踏ゾーンの掃除を(本当にもうどうしてもやらざるを得ない状態で)余儀なくされたのでありました。冷蔵庫に掃除させられたの。
それは何の前ぶれもなく始まったのですが、たまたまらっきょうを食べようとらっきょうを買って来た。
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そしてそれをガラスの器に移し替え冷蔵庫へ。
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するとその夜、いくつもらっきょうを食べないうちにそのガラスの器を冷蔵庫の中でひっくりかえし、冷蔵庫中にガラスの破片とらっきょうとらっきょうの甘酢が広がる。
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夜中なので掃除機もかけられず、とりあえずらっきょうと、手の届く範囲のガラスを拾うが、甘酢は冷蔵庫上段底面のくるくるポケットにまで浸透。
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泣きながら甘酢に浸かったくるくるポケットにためておいた、おまけのワサビやショウガ、カラシ、しょうゆ、おかかパック、などを全部捨てて、くるくるポケットおよびくるくるポケットの下の底面の全面を重曹で掃除。
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とりあえず就寝。
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翌日。甘酢はとりあえず全部拭き取ったと思っていたら、冷蔵庫上段底面に空いている穴からガラスの破片および甘酢が下段の野菜引き出しへ浸透している衝撃の事実が発覚。
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再び泣きながら冷蔵庫の棚に掃除機をかけ、野菜引き出しの中も大掃除したが、「問題の穴の下」は野菜入れ場からも冷蔵庫上段からも手が届かず、野菜の引き出しをごっそり抜くことに。
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やっと件の穴の下に手が届き、破片および甘酢もめでたく拭き取り、やれやれ、と思って野菜引き出しを戻そうとした瞬間引き出しを抜いた冷蔵庫の奥深くの壁面と底面が氷と霜によって固まり、鍾乳洞状になっているのを発見。
おそらく野菜引き出しから落ちたのであろう謎の汚いビニール袋や上段からいつの間にかこぼれたのであろう液体までが一緒に固まり、鍾乳洞の凹凸や色をよりリアルな感じにしている。
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あまりにすごい鍾乳洞なので、どうにかしないわけにはいかなくなったものの、なでても叩いてもびくともしないので、氷壁を打つピッケルのごとくドライバーを持ち出し、鍾乳洞を砕き、氷と格闘。
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冷蔵庫の壁面に穴をあけてしまったが、とりあえず鍾乳洞は消失。
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仕上げにやはり重曹できれいにきれいにお掃除したところで、やっと延べ二日に及ぶ冷蔵庫掃除から解放される。
と、ここまでが全体の流れなのですが、鍾乳洞掃除をやって、あ、そうか、この最終地点はコレだったのか!と、気がつきました。これはつまり、冷蔵庫が私に冷蔵庫掃除をさせるために冷蔵庫が立てた作戦以外のなにものでもないでしょう。私に普段買わないらっきょうを買わせたところから、もうすでに冷蔵庫に操られていたにちがいないのです。
もしかしたら、もう少し前から冷蔵庫は「プチ掃除指令」を発令していたのかもしれません。あの、製氷室に霜がつきすぎて開かなくなった時がそうだったと思う。あの時にやんわり発令された「プチ掃除指令」に気がついていたら、らっきょうが無駄になることもなく、くるくるポケットのワサビやカラシやしょうゆが無駄になることもなく、冷蔵庫壁面に穴が空くこともなかったはずだ。