忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2008年09月10日(水)

捨ててやった、捨ててやった。どんどん捨ててやった。別に掃除しようとか大片付けしようと思ったわけじゃなくて、ただ、タオルの棚をちょっときれいにしようと思っただけなのに、気がついたら大片付け大会に。
ことの発端は、タオルの棚にタオルが飽和状態だからくたびれたやつを雑巾に.....と思って雑巾行きタオル置き場をのぞいたところ、雑巾にしようと思うタオルが供給過多でもう入りきらない。更にその上には旅行や温泉の度に忘れて買った小さいシャンプーとリンスのセットとか試供品とかが入った箱が蓋がしまらなくなってる。しかも底のほうでなんかこぼれてるしで、「もう、いらないスイッチ」が入ってしまった。そこから捨てる、捨てる。主に紙類。それから着なくなった服、タオル。よくわからない髪どめとか何かの粗品のコップとか、そういうの。そこからキッチンに移動し、保存食の類で賞味期限切れてるのもどんどん捨てた。9年前のコチュジャンてどういうこと?今の家に引っ越して8年だから、引越の時に一緒に来たわけか。持ってくんなよ!車麩とかもヤバい。封開いていてるし。天ぷら粉も。よくわからない外国のパスタソースの缶も。検証してみたら完全に捨てられない女のキッチンだった。でも捨てた捨てた。ぜーんぶ捨てちゃった。あははは!すっきりすっきり。あはははは!
ところが、あろうことかその様子をこっそりOちゃんにケイタイのムービーで撮影されており、後で見たら、ブツブツ言いながら同じものを何度もあちらへやったりこちらへやったり、一人で喜んだり、腰に手をあてて怒ったり、途中、片足をあげて休憩したり(鳥?)、まるで頭のおかしい人だった。個人的には、自分が何かの途中で片足をあげて休憩しているなど、思いもよらなかったのでほんとに驚いた。あんなので休まってるのか。自分の素を自分で確認するのはなかなかショックなことであった。よく隅っこのほうを掃除機で無心に吸っていて涎が垂れてしまったり、歌いながら曲を作っていてやはり鍵盤に涎が垂れたり、ということがあり、普段は別に口は閉じているが、集中すると涎が垂れるのはひとりで歌ったりしゃべったりしているからだと推測できる。曲を作っている時の様子などは他人はおろか、自分でもあまり見たくないが、さぞおかしいことだろう。

サラッとお知らせ。某社「カ○リオ」のCMがオンエア中です。竹内結子さんが犬の写真を撮りまくり、プリントアウトしては大喜びというかわいいコマーシャル。インストですがピアノじゃなくてピアニカ。お目にとまりましたらぜひご覧くださーい。


[link:1031] 2008年09月13日(土) 23:23


2008年09月13日(土)

おととい、昨日と、とあるスタジオのおよそ100年近く前のスタンウェイを弾く機会があった。ここのピアノは弾くたびに、うれしくなる。音の響き、弾き心地、どんなに弾くほうが上手じゃなくても笑って受け入れてくれる感じ。なんと豊かなピアノか、と思う。こんなのうちにあったらいいなー。愛着という点でいえば、そりゃあ実家にある自分のピアノが一番好きなんだけど。
ところで、そのスタジオのその古いピアノは、見る人が見ると、たまに『青い何か』がぼや〜っと見えるそう。しかしそう聞いても不思議に怖い感じはしない。もし仮にそれが霊か何かだとしても、そのピアノを演奏していた人だったりしたらむしろ会ってみたいし、楽しい感じがする。でも残念ながら、いつ行っても私には『ぼや〜』っとした何かは見えないのである。

今日は近所でお祭りだったらしい。気がついた時にはもうほぼ終わりの頃で、遠ざかっていく御神輿の一団しか見られなかった。せっかくなので後ろ姿を撮影してみたが、一番後ろにいる『水』という人たちは初めて見る。『水をかける係』?でかでかと『水』と染め抜かれた法被がいかにも『専門職』っぽく、ぐっとくる。


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[link:1032] 2008年09月17日(水) 01:45


2008年09月17日(水)

14日、カーネーションを観戦する。久しぶりにガツンとやられました。時を経て、変化を経て、今、そこにあるカーネーションというバンドがやけにリアルに、そして力強く見えました。
朝まで打ち上げで、フラフラになって帰宅した15日。
16日、一日かかってlete用のチラシを描く。
札幌にある、コーヒーと豆本とイカしたライヴで有名なキコキコ商店の末木さんが、ずっと以前から私の絵を豆本画集にしましょうと言ってくださっていて、その絵をためなければいけない。
そもそも絵がスラスラ描けるわけではない上に、色をつける仕上げに必要なMacの環境が非常にうまくいってなく、ますます遅々としている。もうずっと待っていただいていて申し訳ないにもほどがあるのだけど、がんばって少しずつやるしかない。

[link:1033] 2008年09月21日(日) 02:50


2008年09月21日(日)

ひょんなことから、久しぶりにドロップ横丁を聴いた。11年も前に出した最初のアルバムだけど、それを作った時の自分のことをいろいろと思い出したりしたのだけど、私のコアな部分、言ってみれば私を形成している「形の見えないその何か」というものは、びっくるするほど何も変わっていないことを確認した。つまり、ただその『変わっていないこと」を、「当時の私ではないたった今の私」が「今の私から出てくる音楽」にパッケージする、というだけのことだ。こんな難しい説明をしなくたって、そんなの当たり前だ。聴いたきっかけはお友達からのうれしい電話だったのだけど、新しいアルバムの準備にとりかかっているこの時期に聴くべくして聴いたのだ、きっと。聴いてよかった。

10月にleteでご一緒する上野茂都さんの月例ライヴに円盤へ行ってきた。ものすごくドメスティックであるのに、ドメスティックな三味線ではあり得ないスケールや音が出て来たりする独自の確固たるブルーズが、非常に非常に存在感がありながら佇まいはどこまでもそこはかとなく光を放っている。熱と氷、動と静、直と斜、いにしえと今、というようなものが入り交じった「リアルな常」の歌の素敵さもさることながら、MCやお話コーナー(?)に垣間見える上野さんのモノやコトや現象などに対する造詣の深さにも驚いた。上野さんの曲もカバーしてみたいし、私の曲に入ってもらうのも楽しそうだ。leteが楽しみ。 ご予約はただいまleteにて承り中です。

そして、プチお知らせ。某社「カラ○オ」のコマーシャル、竹内結子さん篇に続いて緒形拳さん篇もオンエアになりました。こちらはピアノだけのインストです。お目にとまりましたらぜひご覧くださーい。

[link:1034] 2008年09月22日(月) 22:04


2008年09月22日(月)

つまるところヒトなんてものは、モノに翻弄されて生きてるのであーる。
先日、上野さんのライヴで、上野さんが長年おうちでの練習用に愛用されている三味線の目の前で、別の三味線をかわいがったら、その長年おうちでの練習を共にしていたほうの三味線の皮が突然割けた、モノにはぜったい意思があるよね。とお話ししておられた。
そのお話を、『うんうん、そうだそうだ、うちの古い柱時計も時おりスネる時があって、そんな時は決まって何か別の時計をあてにしたり、冷たく放っておいたりした時だものなあ。』と心の中で深くうなづいていたのだが、昨日今日と、「まるでそれをせせら笑うかのような冷蔵庫」のシモベと化した私でした。「こちらがかまってあげなかったからスネた」とかいうかわいいレベルではない。冷蔵庫を買ってから8年間、触れたことのなかった未踏ゾーンの掃除を(本当にもうどうしてもやらざるを得ない状態で)余儀なくされたのでありました。冷蔵庫に掃除させられたの。
それは何の前ぶれもなく始まったのですが、たまたまらっきょうを食べようとらっきょうを買って来た。

そしてそれをガラスの器に移し替え冷蔵庫へ。

するとその夜、いくつもらっきょうを食べないうちにそのガラスの器を冷蔵庫の中でひっくりかえし、冷蔵庫中にガラスの破片とらっきょうとらっきょうの甘酢が広がる。

夜中なので掃除機もかけられず、とりあえずらっきょうと、手の届く範囲のガラスを拾うが、甘酢は冷蔵庫上段底面のくるくるポケットにまで浸透。

泣きながら甘酢に浸かったくるくるポケットにためておいた、おまけのワサビやショウガ、カラシ、しょうゆ、おかかパック、などを全部捨てて、くるくるポケットおよびくるくるポケットの下の底面の全面を重曹で掃除。

とりあえず就寝。

翌日。甘酢はとりあえず全部拭き取ったと思っていたら、冷蔵庫上段底面に空いている穴からガラスの破片および甘酢が下段の野菜引き出しへ浸透している衝撃の事実が発覚。

再び泣きながら冷蔵庫の棚に掃除機をかけ、野菜引き出しの中も大掃除したが、「問題の穴の下」は野菜入れ場からも冷蔵庫上段からも手が届かず、野菜の引き出しをごっそり抜くことに。

やっと件の穴の下に手が届き、破片および甘酢もめでたく拭き取り、やれやれ、と思って野菜引き出しを戻そうとした瞬間引き出しを抜いた冷蔵庫の奥深くの壁面と底面が氷と霜によって固まり、鍾乳洞状になっているのを発見。
おそらく野菜引き出しから落ちたのであろう謎の汚いビニール袋や上段からいつの間にかこぼれたのであろう液体までが一緒に固まり、鍾乳洞の凹凸や色をよりリアルな感じにしている。

あまりにすごい鍾乳洞なので、どうにかしないわけにはいかなくなったものの、なでても叩いてもびくともしないので、氷壁を打つピッケルのごとくドライバーを持ち出し、鍾乳洞を砕き、氷と格闘。

冷蔵庫の壁面に穴をあけてしまったが、とりあえず鍾乳洞は消失。

仕上げにやはり重曹できれいにきれいにお掃除したところで、やっと延べ二日に及ぶ冷蔵庫掃除から解放される。

と、ここまでが全体の流れなのですが、鍾乳洞掃除をやって、あ、そうか、この最終地点はコレだったのか!と、気がつきました。これはつまり、冷蔵庫が私に冷蔵庫掃除をさせるために冷蔵庫が立てた作戦以外のなにものでもないでしょう。私に普段買わないらっきょうを買わせたところから、もうすでに冷蔵庫に操られていたにちがいないのです。
もしかしたら、もう少し前から冷蔵庫は「プチ掃除指令」を発令していたのかもしれません。あの、製氷室に霜がつきすぎて開かなくなった時がそうだったと思う。あの時にやんわり発令された「プチ掃除指令」に気がついていたら、らっきょうが無駄になることもなく、くるくるポケットのワサビやカラシやしょうゆが無駄になることもなく、冷蔵庫壁面に穴が空くこともなかったはずだ。

[link:1035] 2008年09月27日(土) 03:48

2003年6月16日までの日記


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