『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1022] 2008年08月21日(木) 00:42
諸々の変更から、リテイクや保留があったものの最初の案に落ち着きそうな気配。このまま順調に進むとよいです。
その現場で、前回『かわいく機能的なストップウォッチ』購入について大いに盛り上がったプロデューサー氏がストップウォッチのかわりにiPhoneを購入されており、皆で触りまくる。まわりで出会ったiPhoneを買った人、Uさんに続いて二人目である。
使い勝手の善し悪しは使う人の用途によるので、Uさんから聞いた感想や不便な点についてはこちらのプロデューサー氏はまったく不都合は感じておられないようだ。
パックマンとかやらせてもらってつい白熱する。
こうして触ってしまうとやっぱりかわいいねえ。
外のスタジオで仕事の時、たとえば万一うっかりして家にデータを忘れてきたとか、家に帰ればソレあるのに、という時、出かける時にMacさえ立ち上げておけば遠隔操作でそれをこっちに送る、という夢のようなことができるし、例えば一人で録音する時に専用のソフトでブースからコントロールすることもできる。
現状では、『今日はデータだけ持っていけばたぶん大丈夫なんだけど、ひょっとしてPowerBook持って行ったほうがいい?でも今日はデータだけで大丈夫だと思うけどなあ。でもひょっとして必要?どうだろ?。』という時には万一に備えてMacを持って、オーディオインターフェイスも持って、その他の荷物や楽器も持って行ってるのだけど、『とりあえず家で立ち上げておけばMacとオーディオインターフェイスは持って行かなくてもよい』という選択ができる場合が増える。
この機能だけでも、iPhone買う価値があるんじゃないか?と思ってしまうなあ。しかしそれが電話についてなくてもいいじゃないか?という気もするし。
などとああだ、こうだ、とiPhone談義に花が咲いて、また欲しくなってきてしまった。
余談ですがパックマンて食べられちゃう時のショボさがたまりません。