『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1020] 2008年08月15日(金) 23:15
ともあれ、第二部に上演された二本はとても面白かった。人情話の『つばくろは帰る』というのと、舞が中心の『大江山酒呑童子』というものだったが、『つばくろは帰る」の方はあらすじをまったく知らなくても全然問題なく観られ、音声ガイドもなくても充分楽しめた。『大江山酒呑童子』も大体のあらすじを読んでおけば音声ガイドはなくても大丈夫そうだった。しかし、よくよく聴いてみると、音声ガイドの解説してる人もそれぞれに個性的で、それぞれに独特の解説と話し方だったので、ガイドはガイドで別の楽しみ方があるようだ。
そして舞台は、お芝居や迫力のある舞はもちろん面白かったのだけど、お囃子の人たちのアンサンブルが素晴らしかった。郡上踊りも、盆踊りだけど、中心の櫓の上ではお囃子と唄は生演奏で、これもまた素晴らしく趣があって楽しく大好きなのだけど、今日のも見事だった。西洋音楽でも邦楽でも、やっぱり生演奏の空気感はたまらない。
以下はシロウトの勝手な感想ですが、福助がすごくよかったなあ!とか、三津五郎しぶいなあ!とか、勘太郎は話し方とか所作が勘三郎そっくりだなあ、かっこいいなあ!とか、七之助の舞妓さんはかわいいなあ!とか、勘三郎の普通のセリフのやつ(人情劇とか)も観てみたいなあ!とか、女形の人はほんとの女の人より数倍もしぐさが女性で、そのデフォルメの仕方とかすごいなあ!とか、『大和屋!」とか声がかかるタイミングっていうのは、やっぱり誰しも『かけたくなる瞬間』が共通しているもののようで、シロウトにも『来るぞ』というのがわかる『気配』があって面白いもんだなあ、とか、色々色々楽しかった。
その後、小伝馬町にある「ともすけ」でごはん。カジタのかじやんやアノニマの丹治さんなど、まわりの人々が口をそろえて絶賛する食堂で、今まで何度も行くチャンスを逃していた。やっと行くことができてウレシイ。ひとつひとつの料理がすごく丁寧に作られていてすごくおいしかった。メニューに載ってるどれもがおいしそうで、あれもこれも食べたかったが、厳選に厳選を重ねていくつかを注文する。どれもすごくおいしかった。塩のパンチが効いている。おいしい素材をおいしいシンプルな方法で仕上げる、スピード感と丁寧さが同時に感じられるお料理の数々でした。またぜったい行こう。そして今日注文できなかったのを食べよう。
で、これから数日ははりきってお仕事です。私もスピードと丁寧さを同時に存在させられるシゴトができますように。