『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:1000] 2008年07月02日(水) 02:46
それに載せるための一問一答みたいなのをしていて、『チアキさんはバンドとかやっぱりやりたいんですか?』みたいなことを聞かれ、『でもやっぱりチアキさんみたいなタイプはバンドは無理ですかねえ(笑)』みたいな話になり、ますますバンドを組みたくなる私でした。
しかし、バンドを組むのであれば今のままの私のやり方では無理。もちろんバンドを組むとなればそういうふうに気持ちを変えて、すっかり回路を変えてやらないとだめだ。
当たり前なのだけど、人にはそれぞれにいいとこと悪いとこがあって、特徴がある。バンドをするには、一緒に音楽を作っていくに必要な側面において、お互いがその全部を受け入れていくぐらいの覚悟なないとできない。いわゆるワンマンバンド的なものならば、具体的な形がちがっても加藤千晶のソロと変わらないから。もちろん私が今やっていることでも、サポートでお願いしているバンドの皆さんに自分が思い通りに動いてもらっているつもりはぜんぜんない。演奏や技能的なことはもちろん私にできないことをやっていただいているので言うまでもなく、それぞれの特徴やキャラクターなどについても、一緒に演奏していただくからには、大げさかもしれないけど、そのすべてを受け入れて、というか(バンドとの比較からそういう言い方になってしまうのだけど)、そんなエラそうなことじゃなくて、その人だから、その人にお願いしたいからこそお願いしている。でも『バンドは無理でしょうねえ。』などと言ったり言われたりしている時点でやっぱりなんかすごく傲慢な自分がいるのか、とも思う。もっとも、こういう音楽を作るという生活をしているのだから、ぜったいどこかに『ここは自分の思い通りにならなければ気がすまない』という我の強い自分がいるというのは疑う余地もないのだけど、人におまかせしてしまえる自分とのバランス感覚は失いたくない。私のライヴで、一緒に演奏してくださるメンバーのみなさんそれぞれが、ものすごくイカしていたらすごくうれしい。それでいて私の音楽がそこからいかんなく表現されていたらほんとにうれしい。まあ、こんなことを私が発表しなくても、みなさんはそんなこと関係なくイカしているので無用のつぶやきなのだけど。
つまりはそんな中で私が失敗したら元も子もないわけだから、なにしろそうならないように、そしてみんながイカしている、お客さんも含めてそういうイカしたライヴをできたらいいなあ、と心から思います。