『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:980] 2008年05月16日(金) 02:14
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[link:976] 2008年04月30日(水) 04:34
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なんですか、この寒さは。まだ毛布にお布団二枚重ねの冬仕様布団セットのままで、そろそろ毛布いらないかなあ、と思っていた矢先の寒さで、しまわなくてよかった。
お仕事で麻布のスタジオへ。
今回のお仕事は不思議なご縁で、私がかれこれ15年ほど前お世話になった、とある団体の今年度のキャンペーン。その頃はまだ名古屋におり、少年王者館におり、バンドをやりながらそこで働いておりました。現在はどうかわかりませんが、当時、ボスと『たった一人の事務員(私)』という、とっても自由でおおらかな職場で、のびのびと働かせていただきました。事務所に『北海の珍味売り』が突然押し売りにきて踊りを踊っていったり、ビルの入り口の消化器を破裂させてしまったり、終業後にビルの給湯室でこっそりパンを焼いたり、今から思うとあり得ないアクシデントもいろいろあったなあ。広告の世界を知ったのもそこでした。そして、ザボンドボン時代の『ヒネコッタコマメパン』が私の知らない間にラジオ番組のオープニングテーマに使用されていたのもその頃でした。その後、そこを離れ、音楽を作るということを本業にしてはや十数年。巡り巡って、まったく別のご縁からそのキャンペーンの音楽を作ることになろうとは、感慨深いものがあります。
というようなしみじみとした思いもありつつ、お仕事は無事に終了。みなさまにもお気に召していただけてなによりでした。ありがとうございましたっ!
中国の大地震、この異常気象ともいえる暑さや寒さ、なんだかいろんなことが大変なことになってきている昨今ですが、私も含め、なんとか元気にがんばりましょう。みなさまお風邪をひかれませんように。