『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:974] 2008年04月21日(月) 00:41
Q以外で、友達のとかではないライヴでこの位置で観るのは、高校生時代のRCサクセション以来か(キヨシローが最後に投げたTシャツが飛んで来たが、隣の人に取られた思い出)。
かつてアレサ・フランクリンの黄金期と評される時期のサポートを努めていたデュプリー氏は現在66歳。酸素ボンベをつけての演奏でちょっとびっくりした。でも大きな体で、そりゃあ若い頃に比べたら指も回らなくなったんだけろうけど、魂のこもったソロを堪能できた。体でリズムを刻むことはなく、上半身はほとんど揺れていないのに、なぜあんなにすごくグルーヴと歌心が溢れたプレイができるのか。観れてよかった。
18日、打ち合わせの時間が大雨の影響で二転三転。服は雨でびしょびしょ。さらには久々に差し入れでも買っていこうと思ってあてにしていたお店が閉店(おいしかったのに。。。。)しており、結局手ぶら。
しかし、この日はテレビの星占いで『思い通りにいかない一日。周りの人に迷惑をかけやすいので注意。』との予測をされていたため、最初からそれぐらいのことは覚悟しており、時間も充分余裕を持って出たし、途中で電車が送れようと、目当てのお店が閉店していようと、別段慌てることもションボリすることもなく気分よく到着。充実した打ち合わせをすることができた。そして帰りには、先日たいそう並んだたこ焼きを今日はわりとスムーズにゲット。電車の方角もまちがえなかったし、ATMでお金を下ろしている間じゅう、隣のブースからおじさんが鼻歌で『もしもピアノが弾けたなら』を歌うのが聴こえてきて、それがまた雨の日になんとなく合っていて意外によくて1コーラス全部聴いたし。それはわりと上々な日だったのだった。