『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:972] 2008年04月15日(火) 23:39
[link:971] 2008年04月12日(土) 23:44
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今年は、年が明けてからこれまでの間にたくさんのの出会いがあった。人も仕事も企画も。今までつながっていた人からさらにもう一歩入った出会いあり、まったくはじめての方やお仕事との出会いあり、えっ?そういうことをするのははじめてなんですけど、とにかくやってみましょうか、というような試みとの出会いもあった。それから14年ぶりに新たな形で出会い直す、というお仕事もある。そのそれぞれがとても面白く実りがあり、そこからまた何かつながっていけたらなあ!と思うものばかりで、こういうふうに私までつながってきてくれたヒトビトやモノゴトやコトの流れを思うと、数限りなくあるこの世のヒモの中からよく私につながるヒモの先をひっぱってくれましたなあ!!と感激するのだ。ヒモの先にぶらさがってるモノがコウモリなのか菜の花なのかソーダ飴なのか下駄なのか、予測をたててヒモを辿ってくれる人もいれば、全くわからないでヒモを引いたらコウナッタ、という人もいる。しかしそれらすべての人に、そのヒモを引っ張るに至った原因とも言える、これまでつながりのあるすべての人に、そしてヒモをひいた後になってそこからまたつながりが生まれる新しいヒトやコトにも、この上なく感謝しています。