『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:962] 2008年03月07日(金) 01:03
うちにある唯一の時計は手巻きの柱時計。おばあちゃんのお家から私の実家に、そこからさらに私が今住むお家にやってきた。
振り子がカチコチカチコチ、という。音がわりとでかいので、私に電話をくれる人は最初は驚き、そのうちに、振り子の音で私が家にいるのか外にいるのかわかるという。
時計はわりと世の中にあふれているし、ケイタイだってあるので私は腕時計もしないし、家には目覚ましもない。しかし我が家の一番の大黒柱時計であるこのチクタクさん(仮名)は、かなり時間がアバウトである。たいてい一週間に一度ぐらいネジを巻くけど、その時点でおよそ10分ほど遅れている。なのでネジを巻いたらグイッと10分ぐらい進めておく。つまり、正確な時間を中心に前後およそ10分以内の『ズレ』が常にあり、いつも『大体の時間』しかわからない。しかし、我が家にとっては頼りな大黒柱時計である。
そんなチクタクさん(仮名)は、年に何度かストライキを起こす。ある日突然止まってしまって、ネジを巻いて振り子を動かしてもいつの間にかまた止まってしまう。時計全体の傾き加減にかなり微妙な調整を必要としていて、ピッタリまっすぐにかけても振り子のバランス的にはよろしくないらしく、2〜3分動いて止まってしまう。だからいつも調子良く動いている角度からぜったい動かさないように静かにネジを巻いているのだけど、年に何度かそれでも急にヘソを曲げてしまうのだ。そして今日がその日であった。昨日寝る前にネジを巻き、今日起きてきたら止まっていた。仕方がないので角度を微調整して針を合わせて再度振り子を動かす。が、また止まる。また動かす、また止まる、の繰り返し。何度かやってどうしてもダメな時には、最終手段として『実際にお願いをしゃべりかけながら振り子を動かす』。心の中でおねがいしてるだけではダメなのだ。今日もついにそこまで来てしまった。『ねえ、たのむよ、止まらないでね。動いててよ。ね、おねがいだから。』ブツブツと時計にしゃべりながら針を合わせたり振り子を揺らす私。
. . . . . . すると、動いてくれるのだ。それからは一度も止まらず、今もカチコチカチコチ。ふしぎである。しかしふしぎでもなんでもよい。時間にアバウトでもかまわない。とにかくチクタクさんがなるべくストライキを起こさないように長く動いていてくれれば。