『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:953] 2008年02月10日(日) 00:50
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[link:949] 2008年01月25日(金) 01:59
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1月は終わったけど、思ったとおり、まだお鏡餅は食べれていません。冷凍庫にはまだ入れてないけど。
タマコウォルズはまたもやすさまじいステージ。ゲストの直枝さんも驚くような日本人離れしたグルーヴと泥臭さ。直枝さんは直枝さんでさすがだった。
観る前はステージ前面に並んだ3人のギタリストを想像して、ひょっとするとカーネーションの幻のようなものを観るような部分があるかも. . . .と思っていたのですが、どっこいそれはやっぱりまちがっていた。カーネーションの曲をやっても、そこに『カーネーションの人』『カーネーションだった人』『カーネーションにかかわる人』がどれだけいても、やはりそれは『タマコウォルズと直枝政広氏による』新しいステージだった(当たり前だけど)。もちろん最高にいい意味で。
ほんの少しだけだけど、カーネーションというバンドを観たり知ったりしている者として、それはそれは何か、すごいものを観てしまったと思った。それと同時に長く変わらないものも、変わっていくものも、それぞれ、なにひとつ動いていないものはないと思った。いろいろなものは『動いていくから変わる』のだけど、変わらないものも『動きながら変わらないでいる』のだなあ、と。自分にも置き換えてみたりして。まあ置き換えてみたところで、そんな『超一流いぶし銀のやんちゃくれ』な人々の前では、私なぞはただ偶然居合わせた駄菓子屋の隅っこでお団子の串を喉につまらせている近所の洟垂れっ子のようなものですが。
しかしそんな私も含め、音楽家という人々は、そうやって今もどんどん湧いては消えていく自分の感覚を、一生懸命音楽という『空気の振動』に変えているのですねえ。
春になって、またあたらしい挑戦のお話が湧き上がってきました。またちゃんとお知らせできる時が来たらお知らせします。