『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:949] 2008年01月25日(金) 01:59
ピアノの弾く手がかじかみます。
レーゾーコに食べるものがなくなりお買い物へ行く。
野菜は少し離れたところに房総半島の農家が減農薬で作っているのを直売しているところがあるので、できるだけそこで買う。このあいだ朝採りのイチゴがあって、たまたま買ったらびーっくりするほどおいしかったので、またイチゴを買おうと思ったら売り切れでした。やっぱりみなさんよくご存知です。あんなにおいしいイチゴ、できることならお友達みんなに買ってってあげたい衝動にかられますけど、なんせナマモノなので残念。
ホーレンソウのおひたしに凝っている。
ユズを刻んでいれるとおいしいのね。
あと何気にキンピラもブームで。日本食バンザイ。
このあいだ鳥の水炊きっつーののほんとにおいしいのを食べることができました。といっても、ウチで作ったんだけど、コツはものすごく簡単で、土鍋に水が沸騰したら手羽を入れて30分、それからモモを入れて30分。で火をとめて30分おいてから再びあっためて食べる。その後野菜やつくねも入れて、ゆずこしょうとかポン酢でフーフーいただくのであります(これ、ためしてガッテンで見た。)鳥ってほんとにすごいね。あんなにお出汁が出るのに本体もほぐほぐに柔らかくておいしくなるなんて。
鳥の水炊きといえば思い出すのが、かれこれ15年ぐらい前に行った宮沢賢治祭だ。毎年、岩手の花巻でひーーっそりと行われる。
しかし祭、とはいっても、印象としていわゆる『祭り』というのとはかなりちがう。まず『祭り』いうような浮き足立ったムードはない。というか一般的な『祭り』ではなく、本当に『賢治まつり』でした。(どうやら当時は宮沢賢治学会が行われる日の夜に祭りが開催されていたようです。現在はどういうことになっているか知りませんが。)
地元の小さな神社でそれは催されていました。祭りというのに夜店や屋台も出ないまま、来ているのは地元の人と、圧倒的な賢治フリーク(私はそうではない。また、ここでは便宜上乱用しているが、宮沢賢治を『賢治』と呼ぶこともなぜか気恥ずかしい。いや、宮沢賢治は素晴らしいと思うが。)。たいまつの燃える境内で寒さに震えながら、何が始まるかと思いきや、地元の子供会が賢治の劇を上演。その後、婦人会の人が朗読をしたり鹿踊りをしたり、合唱をしたりという、リアルに賢治トリビュート祭りで、その場に出演者やその知り合いにも誰にも顔見知りがなく、宮沢賢治作品の一片を人前で空で言えないレベルの見学者は、その朗読や合唱をただぼんやり見る、という大変マニアなそして学術的な催しであったのでした。
ともあれ、私と友達は賢治フリークでもなんでもないけども、面白そうだったので行ってみた。しかし、その祭りが開催される神社は観光地でもなんでもないところにポツンとあるので、その近くに一軒だけある民宿は、つまり『その客専用』であり、したがって、逆にいえば、その民宿にその日宿泊している人は全員賢治フリークと見なされてしまうという当然といえば当然な暗黙の了解が存在していました。否、客ばかりか、民宿の人も祭りに行くのですね。だから、その日、夕食の時間に食堂へ行くと、テーブルの上に貼り紙がしてあり、『今夜は祭りに行きますので鳥の水炊きです。コンロにかかっている鍋をあたためなおして各自お召し上がりください。』という、まるで宮沢賢治のお話の一節のような展開になっていました。そして、透明な出汁の中に骨付きの鳥肉がガサガサと浮かんだだけの大きな鍋がコンロにかかっていました。あたりに調味料らしきものはなし。味が無ね〜。しかし、その日の夕食は「水炊きの鶏肉だけとごはん」だったのでした。
さて、鳥の水炊きを食べ、祭りへ行き、再び民宿へ戻ってくると、なにやら食堂のほうがにぎやかしい。
のぞいてみると、『......賢治は........』『........あの未完具合は.......』などと聞こえてくる。どうやら祭りから帰ってきたお客たちは部屋へは戻らず、民宿の人たちと共に賢治について熱く語り合うのが常らしいのです。だって、今日ここに泊まってる彼らはもちろん賢治研究家だから。
..........マズイ。
目が合うとヤバイと思い、私たちは忍者のごとく階段を上がって自室へ戻り、声を低くしてトランプをしました。
階下の熱い語らいは深夜まで続いていました。
そう、それが私の鳥の水炊きの思い出。宮沢賢治祭に行ったのに、覚えているのは鳥の水炊き。
そんなふうにどこまでも『俺が俺が』とは無縁の、宮沢賢治....。