『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:947] 2008年01月18日(金) 01:27
名古屋に帰って、家族やこりんや今年91歳になるおばあちゃんに会ったり、友達に会ったり、夜遅くにTOKUZOへ行ったり、かじやんとともちゃんのやっているコーヒーカジタに行ったりしました。かじやんおすすめの、最後の一杯だったナントカっていう豆で入れてもらったコーヒーがあまりにおいしくてぶったまげた。1年に1度しかとれなくて、しかも来年ももうこれほどいい豆がとれるかどうかわからない、というベラボウにエクセレントでエクスペンシブな豆だそうだ。そんなのを味わうことができてよかった。
ところで最近、地方色とか方言とかがブームみたいになってるけど、名古屋は方言というほどの方言は(高齢の人とかは本当の名古屋弁を使える人もいるけど)なくて、主にイントネーションが独特だと思っていたら、意外と他の地方の人には「え〜?」と聞かれるような言葉もあることに気がついた。エンピツを「トキトキ」にする、とか、「机をつる」とか、信号が「パカパカ」する、とか。
TOKUZOへ行って、スタッフのはやしいずみちゃんと久しぶりの再会を喜び合っている時に、なんだか急にものすごく『名古屋に帰ってきた〜」と思った。それでよくよく思い返してみると、これまでも私が名古屋に帰ってきて、フと「ああ名古屋に帰ってきたなあ!」と改めて感じていたのは、TOKUZOでいずみちゃんや森田さんの名古屋弁を聞いた時だった気がする。
うちの実家は名古屋(厳密には名古屋から道一本はずれた長久手町(万博やったとこ)だけど)といっても家族は父は岐阜出身だし、母方は三重県で言葉のイントネーションは関西系なので、実家ではあんまり純粋な名古屋弁を耳にしないのであった。特に一緒に住んでる母方のおばあちゃんは完全に関西なまりだ。だから私は友達なんかに会うとより一層名古屋弁を使いたくなってしまう。
「あれ!なんでぇ?なんでここにおるのぉ?」「な〜にぃ、いつ来たのぉ?」「今年はTOKUZOでもやってくれなかんにぃ!」。TOKUZOのいずみちゃんはいつも顔を一目見るなり、すっ飛んで来てハグをしながら猛烈な名古屋弁で歓迎してくれるので、ものすごくうれしい。森田さんの力の抜けた名古屋弁も妙にいい気持ちになる。
そんなこんなでわずかな時間だったけども、友達や森田さんやいずみちゃんと心置きなく話し、名古屋のスーパーの片隅で焼いてる「名古屋のみたらし団子」を食べ、ゆるーい名古屋のテレビを観れてうれしかった。
さて、遅いスタートだけど、今年もがんばります。
まずは、はだかさんをお迎えする1月24日のleteがもう10日後!どんなことになるんでしょうか。アノ歌の伴奏をさせてもらえるかしら。楽しみです。ああ、みなさんぜひ来てね。