忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2008年01月15日(火)

チャーシューメメーンからはや十日。
名古屋に帰って、家族やこりんや今年91歳になるおばあちゃんに会ったり、友達に会ったり、夜遅くにTOKUZOへ行ったり、かじやんとともちゃんのやっているコーヒーカジタに行ったりしました。かじやんおすすめの、最後の一杯だったナントカっていう豆で入れてもらったコーヒーがあまりにおいしくてぶったまげた。1年に1度しかとれなくて、しかも来年ももうこれほどいい豆がとれるかどうかわからない、というベラボウにエクセレントでエクスペンシブな豆だそうだ。そんなのを味わうことができてよかった。
ところで最近、地方色とか方言とかがブームみたいになってるけど、名古屋は方言というほどの方言は(高齢の人とかは本当の名古屋弁を使える人もいるけど)なくて、主にイントネーションが独特だと思っていたら、意外と他の地方の人には「え〜?」と聞かれるような言葉もあることに気がついた。エンピツを「トキトキ」にする、とか、「机をつる」とか、信号が「パカパカ」する、とか。
TOKUZOへ行って、スタッフのはやしいずみちゃんと久しぶりの再会を喜び合っている時に、なんだか急にものすごく『名古屋に帰ってきた〜」と思った。それでよくよく思い返してみると、これまでも私が名古屋に帰ってきて、フと「ああ名古屋に帰ってきたなあ!」と改めて感じていたのは、TOKUZOでいずみちゃんや森田さんの名古屋弁を聞いた時だった気がする。
うちの実家は名古屋(厳密には名古屋から道一本はずれた長久手町(万博やったとこ)だけど)といっても家族は父は岐阜出身だし、母方は三重県で言葉のイントネーションは関西系なので、実家ではあんまり純粋な名古屋弁を耳にしないのであった。特に一緒に住んでる母方のおばあちゃんは完全に関西なまりだ。だから私は友達なんかに会うとより一層名古屋弁を使いたくなってしまう。
「あれ!なんでぇ?なんでここにおるのぉ?」「な〜にぃ、いつ来たのぉ?」「今年はTOKUZOでもやってくれなかんにぃ!」。TOKUZOのいずみちゃんはいつも顔を一目見るなり、すっ飛んで来てハグをしながら猛烈な名古屋弁で歓迎してくれるので、ものすごくうれしい。森田さんの力の抜けた名古屋弁も妙にいい気持ちになる。
そんなこんなでわずかな時間だったけども、友達や森田さんやいずみちゃんと心置きなく話し、名古屋のスーパーの片隅で焼いてる「名古屋のみたらし団子」を食べ、ゆるーい名古屋のテレビを観れてうれしかった。
さて、遅いスタートだけど、今年もがんばります。
まずは、はだかさんをお迎えする1月24日のleteがもう10日後!どんなことになるんでしょうか。アノ歌の伴奏をさせてもらえるかしら。楽しみです。ああ、みなさんぜひ来てね。



[link:947] 2008年01月18日(金) 01:27


2008年01月17日(木)

ハーックッション。
ああ、例によってゆるく進んでますな。今年も。
ここんところは某局の新年会なるものに参加したり、チラシを描いて印刷に出したり、24日の準備をしたりしています。
先日コーヒーカジタでべらぼうに美味しくてぶったまげたかじやんオススメのコーヒーはパナマのゲイシャ種『エスメラルダ農園』というやつらしいです。こんな香しいおいしいコーヒーがあったのか、と思った。

街で素敵に着物を着ている人を見るとうらやましい。
今年は着物をたくさん着たいという理由は、実家に母の着ていない着物がたくさんあるから(私自身のは一枚もない)。学生の頃卒業式とか謝恩会とかお茶会(名古屋はなにげにお茶どころなんでやんす)とか、ちょっと改まった時に何度か着たけど、ふだんのおしゃれに着物を着るなんて素敵なことはまだまだできないでいる。母のタンスの中には母自身のものの他におばあちゃんから受け継いだのもあって、古いけどもものすごいかわいい帯とかふだんのおしゃれ着物もあり、もったいないからせっかくなら私が着たいなあ、と。
が、うちには着物をしまっとく桐のタンスなんかもちろんないし、着物をかけておくとこもない。夏に一度着るだけの浴衣はあるけどこれもザックリ引き出しに放り込んである。そしてなにより、私は着付けがまったくできません。浴衣はめちゃくちゃでなんとか着るのだけど、いつもおはしょりとかがなんかくちゃくちゃだし。なので、着るとしたら着付けから習いに行かないといけないんでした。着物の種類とか専門用語とかもわかんないし。なんか遠い道のりですけども。まあそのうち、着物でピアノを弾いちゃおうじゃないの。


それから3月8日土曜日のワンマンの詳細が決まりました。1月20日からMANDA-LA2店頭にて前売を販売、ご予約も同じく1月20日より加藤千晶食堂にて承ります。詳しくはトップページのごあんないをご覧ください。

[link:948] 2008年01月21日(月) 23:44


2008年01月21日(月)

今日は大寒。もうすぐ終わりですけど。寒い寒い。
ピアノの弾く手がかじかみます。
レーゾーコに食べるものがなくなりお買い物へ行く。
野菜は少し離れたところに房総半島の農家が減農薬で作っているのを直売しているところがあるので、できるだけそこで買う。このあいだ朝採りのイチゴがあって、たまたま買ったらびーっくりするほどおいしかったので、またイチゴを買おうと思ったら売り切れでした。やっぱりみなさんよくご存知です。あんなにおいしいイチゴ、できることならお友達みんなに買ってってあげたい衝動にかられますけど、なんせナマモノなので残念。
ホーレンソウのおひたしに凝っている。
ユズを刻んでいれるとおいしいのね。
あと何気にキンピラもブームで。日本食バンザイ。
このあいだ鳥の水炊きっつーののほんとにおいしいのを食べることができました。といっても、ウチで作ったんだけど、コツはものすごく簡単で、土鍋に水が沸騰したら手羽を入れて30分、それからモモを入れて30分。で火をとめて30分おいてから再びあっためて食べる。その後野菜やつくねも入れて、ゆずこしょうとかポン酢でフーフーいただくのであります(これ、ためしてガッテンで見た。)鳥ってほんとにすごいね。あんなにお出汁が出るのに本体もほぐほぐに柔らかくておいしくなるなんて。

鳥の水炊きといえば思い出すのが、かれこれ15年ぐらい前に行った宮沢賢治祭だ。毎年、岩手の花巻でひーーっそりと行われる。
しかし祭、とはいっても、印象としていわゆる『祭り』というのとはかなりちがう。まず『祭り』いうような浮き足立ったムードはない。というか一般的な『祭り』ではなく、本当に『賢治まつり』でした。(どうやら当時は宮沢賢治学会が行われる日の夜に祭りが開催されていたようです。現在はどういうことになっているか知りませんが。)
地元の小さな神社でそれは催されていました。祭りというのに夜店や屋台も出ないまま、来ているのは地元の人と、圧倒的な賢治フリーク(私はそうではない。また、ここでは便宜上乱用しているが、宮沢賢治を『賢治』と呼ぶこともなぜか気恥ずかしい。いや、宮沢賢治は素晴らしいと思うが。)。たいまつの燃える境内で寒さに震えながら、何が始まるかと思いきや、地元の子供会が賢治の劇を上演。その後、婦人会の人が朗読をしたり鹿踊りをしたり、合唱をしたりという、リアルに賢治トリビュート祭りで、その場に出演者やその知り合いにも誰にも顔見知りがなく、宮沢賢治作品の一片を人前で空で言えないレベルの見学者は、その朗読や合唱をただぼんやり見る、という大変マニアなそして学術的な催しであったのでした。
ともあれ、私と友達は賢治フリークでもなんでもないけども、面白そうだったので行ってみた。しかし、その祭りが開催される神社は観光地でもなんでもないところにポツンとあるので、その近くに一軒だけある民宿は、つまり『その客専用』であり、したがって、逆にいえば、その民宿にその日宿泊している人は全員賢治フリークと見なされてしまうという当然といえば当然な暗黙の了解が存在していました。否、客ばかりか、民宿の人も祭りに行くのですね。だから、その日、夕食の時間に食堂へ行くと、テーブルの上に貼り紙がしてあり、『今夜は祭りに行きますので鳥の水炊きです。コンロにかかっている鍋をあたためなおして各自お召し上がりください。』という、まるで宮沢賢治のお話の一節のような展開になっていました。そして、透明な出汁の中に骨付きの鳥肉がガサガサと浮かんだだけの大きな鍋がコンロにかかっていました。あたりに調味料らしきものはなし。味が無ね〜。しかし、その日の夕食は「水炊きの鶏肉だけとごはん」だったのでした。
さて、鳥の水炊きを食べ、祭りへ行き、再び民宿へ戻ってくると、なにやら食堂のほうがにぎやかしい。
のぞいてみると、『......賢治は........』『........あの未完具合は.......』などと聞こえてくる。どうやら祭りから帰ってきたお客たちは部屋へは戻らず、民宿の人たちと共に賢治について熱く語り合うのが常らしいのです。だって、今日ここに泊まってる彼らはもちろん賢治研究家だから。
..........マズイ。
目が合うとヤバイと思い、私たちは忍者のごとく階段を上がって自室へ戻り、声を低くしてトランプをしました。
階下の熱い語らいは深夜まで続いていました。
そう、それが私の鳥の水炊きの思い出。宮沢賢治祭に行ったのに、覚えているのは鳥の水炊き。
そんなふうにどこまでも『俺が俺が』とは無縁の、宮沢賢治....。


[link:949] 2008年01月25日(金) 01:59


2008年01月25日(金)みなさまどうもありがとうございました。

さて、日付がかわってもう昨日になりますが、下北沢leteへお越し下さったみなさまどうもありがとうございました。
いやはや、今日はいろんな意味で嵐のようなライヴでございました。こういう素っ裸になるライヴをやると、自分の未熟さがこたえます。今日はのっけから最後の最後までスットコドッコイ神が降りてきていたような。その神にボッコボコにやられたような。
みなさまにはお見苦しい点が多々あり、お詫びいたします。
しかしそれにしても、はだかさんはさすがのステージでした。
ピン芸人として見習うべきとこだらけです。
加藤千晶、だいぶ前から精進しているのですが、まだまだし足りないので今後もまっしぐらに精進してまいる所存です。
みなさまどうぞよろしくお願いします。
まずはお礼まで。


[link:950] 2008年01月29日(火) 23:32


2008年01月28日(月)

やらねばならないことが二つほど気にかかっているが、どちらも思ったようにサクサクとは進まぬのであった。
そんなところへカジタのともちゃんが東京に来ていたので、とりあえずそれらを寝かせておいて、ともちゃんとデートに繰り出したのだ。
カジタのともちゃんとは名古屋のcoffee kajitaのかじやんの奥さん。かじやんは、私が昔やっていたバンド「ザボンドボン」のベーシストだった人で、今は名古屋でcoffee kajitaというお店をやっている。コーヒーカジタはかじやんがコーヒー、ともちゃんがお菓子のことをそれぞれ全てやっていて、大人気店になった今も二人でがんばっているが、コーヒーもお菓子もほんとうに手抜きがなくて、すごくおいしい。
ともちゃんはいつもにこにこと静かなかわいい人だが、その中はものすごくしっかりとした芯がまっすぐ通っていて、いつもよく考え、試し、自分の思ったことはぐいぐいと実行していってしまう行動力あふれる努力家で、まったくいつも感心しつつ、尊敬してしまうのだ。
そんなともちゃんと、まず谷中のベンチでケーキ食べ比べ大会をしてから、そのみつへ行き、その後谷中銀座を通って駅へ戻り、広尾のベトナム料理屋さんkitchenへ行きました。うーん、そのみつさんはなんて素敵な靴屋さんなんだ!kitchenもちいさなお店だけど満員で、どれもすごくおいしかった。
ベトナム料理って好きだなー。辛いのがめっぽう弱くなってしまった最近はタイ料理より自分に合ってる気がします。何を食べても爽やかな味がフとするところも好きです。

普段、家で仕事していると仕事とお休みの境界があるようでないようでフニャフニャだし、好きなことと仕事の境界もモヤモヤなので、こんなふうにお友達からガッと「おでかけモード」に引っ張り出してもらえるのは楽しい。

[link:951] 2008年01月30日(水) 01:13

2003年6月16日までの日記


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