『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:852] 2007年06月13日(水) 21:47
leteの準備と手こずって遅れている豆本用の絵(まだ待ってくださってるだろうか。すみません。)と新曲を作るのに加えて、もう気がついたら8月のワンマンのチラシを作らなければ!という時期であった。そういう時にかぎってボタンがとれてお裁縫とか、書類作成とか(あ!契約書もだ!印鑑を押すのが下手。)腹痛とか、喉痛とか、出したはずの郵便が切手代が10円不足で戻って来たりとか、冷蔵庫に妙なランプがついたりとか、いろいろなことが一時に押し寄せてくる夏至近くであった。軽くめまいが。
近所の某コーヒーショップへ豆を買いに行き、いつも買ってるのとはちがうやつを買ってみようとお店の人(バリスタ?)に酸味や苦みなどのバランスを聞いた所、『こちらはこの太陽が表しているとおり、アフリカの照りつける太陽、また、この象は大地を表現しており(パッケージ説明?)、すがすがしい大地をしっかり踏みしめるような深くさわやかな酸味がふわっと. . . . .云々』という、わかるようでいて具体的にはまったくよくわからない説明をしてくれて、困りました。途中で笑いをかみ殺すのに大変でした。象がすがすがしい大地を踏みしめるような深くさわやかな酸味って?聞いている間、劇団四季のライオンキングの予告編みたいなのが浮かんでは消え、浮かんでは消え。豆の味ではなく、豆のイメージだけがよく理解できました。それも戦略か。